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映画『1000の言葉よりも-報道写真家ジブ・コーレン』の背景

樋口義彦(新潟大学博士研究員)

「イスラエル人」の生活

イスラエル人は言語や生活習慣などに基づいてユダヤ人とアラブ人に分けられるが、単純な対立関係ではとらえきれない現実がある。ユダヤ人といっても、頭のてっぺんからつま先まで黒い衣装で覆いながらユダヤ教の戒律を厳守する超正統派と呼ばれる宗教的生活を送る人々(劇中ではその一部であるハシド派が紹介されている)から、ジブ・コーレンのように宗教的な戒律とは無縁に日々の生活を送る人々まで幅広い。実際には、非宗教的な生活を営み、夫婦で共稼ぎをするような家庭が大半である。男女平等、家庭最優先の社会の中、ジブのように仕事の合間に子どもの送り迎えをする父親の姿、また台所に立ち皿を洗う男性の姿も極当たり前。この映画はイスラエル人による作品であるが、より正確には、そんな非宗教的な生活を送る大半のユダヤ人の視点に基づいている。

イスラエルにおける紛争

"イスラエルでは紛争も日常の一部"とよく言われるが、それは日々危険に怯えながら過ごすことを意味しない。実際にテル・アビブに足を運べば「紛争はどこ?」と思うほど、地中海沿いのビーチではのんびりと寝転がる人々、カフェでは愛を語るカップル、と平穏な光景に驚く。そうした日常の中に突き刺さるように突如おこる非日常の事件、それがイスラエルにおけるテロである。

テロのニュースが流れると、まず家族や友人と携帯電話で互いに無事を確認しあい、声を聞くと胸をなでおろして日常に戻る。そうした反射的な行動も日常の一部と言えるが、日常と非日常を繰り返しながら、特に2000年9月の第二次インティファーダ以降、紛争はより日常の中に閉じ込められた。
「負傷者5人だけ」と死者のないテロはある種幸運な事件のように耳に入り、犠牲者に親族や友人がいないテロは天気予報のように流れるだけのニュースになった。また、テロの現場はすぐに改修工事がされ、まるで何もなかったかのような日常空間へ戻った。「紛争は慣れる」という妻ガリットの一言は、テロがあっても日常生活を送ることにエネルギーを注ぐ大半のイスラエル人の言葉を代弁している。そのような日常化に対し「目をそむけようとする」「ぬるま湯」と指摘し、現場に接近することにエネルギーを注ぐのがジブ・コーレンである。

パレスチナ自治区と検問所

紛争の日常化の中で、イスラエルにとってパレスチナはさらに日常から遠い存在となった。和平機運が高まった90年代は自治区内のカジノにでかけたイスラエル人がいた事実など、今やまるで夢物語である。今では"むこうの危険な地"としかとらえられない自治区にわざわざ足を運ぶジブ・コーレンのようなイスラエル人はごく稀であり、実際に何が起っているのか現場を直接知るイスラエル人も少ない。

イスラエルとパレスチナ自治区の間では正式な国家としての合意には至っていないために国境が確定せず、イスラエル側が設けた検問所が自治区をのぞく小さな窓のようでもある。また、そこはイスラエル当局とパレスチナ人が直接接する場でもあり、度々その非人道的対応が問題になるが、イスラエル人でも厳しい対応を受けることはあまり知られていない。報道関係者であろうと、同じイスラエル人であろうと、検問所は苛立ちや権力が剥き出しの空間であることをジブ・コーレンの経験を通してこの映画は物語っている。

2005年8月のガザ撤退:

オレンジと青の二色にイスラエル国内が割れた夏、それが2005年8月のガザ撤退である。エジプトの管理下にあったガザは1967年の第三次中東戦争でイスラエルの支配下に入り、以後イスラエル政府は多数のパレスチナの人々が住むガザでのユダヤ人入植地建設を積極的に展開した。入植に賛同したのは、宗教的生活を営むユダヤ人であった。ガザは本来イスラエルの一部である、という宗教的な解釈に基づき、あえてパレスチナ人が密集する地域に飛び込むようにガザ入植を選択した。そのため、ヨルダン川西岸の入植者とは動機も生活や治安の状況も異なった。

ジブ・コーレンが「極めてシュールな4重構造」というのは、ガザの内部に巨大なユダヤ人入植地グシュ・カティーフが存在し、その中でベドウィンのムアシが生活し、さらにその中に16世帯だけのシラット・ハヤム入植地が存在する、という極めて稀な「ユダヤ人とアラブ人の入れ子状態」を意味する。そのような「シュール」な状況のガザでは入植者とパレスチナ人との紛争が絶えず、入植者を保護するための兵力と経済的負担の是非を巡り国内で激しく議論された。

アリエル・シャロン首相(当時)によるガザ撤退はそのような世論を背景に決行された。ガザの入植者自身はもちろん、歴史的、宗教的解釈からガザがイスラエルの一部であると主張する宗教的戒律を守るユダヤ人が政策転換に反対。前年ウクライナで成功したオレンジ革命にちなんで、オレンジのTシャツやリボンでその意思を表明した。一方、宗教的戒律とは無縁に生きる大半の人々は現実的観点から撤退を支持。国旗の色である青のリボンやシンボルを掲げて意思表明した。ガザ撤退に対する色を使った意思表示により国内が二分されたのである。

反対派は撤去命令後も抵抗してガザに居座り続けたため、警察が力で排除。ユダヤ人によるユダヤ人の排除という初めての事態により、撤退当日は「国家にとって歴史的な日」となった。

ドゥルーズのルアイ:
個展のもう一つの意味

イスラエルで少数派となるアラブ人でも、南部に住むベドウィン(劇中に出てくるムアシはガザに住むベドウィン)と北部に住むドゥルーズはいずれもそれぞれ特殊な生活様式を受け継ぎ、同じアラブ人というよりは互いに違う社会で生きているという意識が強い。また、アラブ人には兵役の義務(男女とも18歳から。男性は3年、女性は2年)が免除されているが、ドゥルーズやベドウィンの男性の多くは兵役に就く。

ジブ・コーレンが撮影した両足を失ったルアイはドゥルーズである。ドゥルーズはイスラエル全人口の1.7%ほどと「ユダヤ人ではないイスラエル人」の極一部に過ぎない(ユダヤ人は約75%)。また、ドゥルーズは「ユダヤ人ではないイスラエル兵」の極一部でもあるが、その多くは前線の戦闘部隊に向かう。 ルアイの個展のシンボルは両足を失った際に履いていた軍靴であるが、それが「赤い軍靴」であることは彼が戦闘部隊にいたことを物語っている。