1995年10月にオープンした
マイクロ・カフェシアターです
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整理券配布について
各会場、イベント・上映開始1時間前から整理券を配布しております。『ザ・コーポレーション』に限り、上映開始の30分前より整理券を配布致します。
Documentarist ドキュメンタリスト
- 日時:10/8(土)-14(金)
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10/14(金)まで!
CS放送 So-net チャンネル749製作番組『ドキュメンタリスト』シリーズ
ドキュメタリー制作者をドキュメント。ドキュメンタリストの生き方を通じて、ものをつくるとは、伝えることはどういうことなのかを探る。

入場料金 \1,200
2プログラムセット \2,000
3プログラムセット \2,600
各回入れ替え制
| Documentarist プログラム | |
| [プログラム1] | 『ドキュメンタリスト 黒木和雄 〜いつかきた道』 |
| [プログラム2] | 『森達也 〜自分であることの表現』 |
| 『野中章弘 〜インディペンデントジャーナリズムの追及〜』 | |
| [プログラム3] | 『寺田靖範氏 〜セルフドキュメント』 |
| 『ドキュメンタリスト 土本典昭 〜NYの旅』 | |
| [プログラム4] | 『平野勝之 〜パンクドキュメンタリスト』 |
| 『原一男 〜ゆきゆきて、ゆきゆきて…』 | |
| [プログラム1] | |
| 『ドキュメンタリスト 黒木和雄 〜いつかきた道』 | |
![]() | 10月1日(16:00) |
| 10月2日(19:30) | |
| 10月3日(20:00) | |
| 10月8日(18:30) | |
| 10月9日(21:00) | |
| 10月10日(19:30) | |
| 10月11日〜13日 | |
| (各日20:30) | |
| [プログラム2] | |
| 『森達也 〜自分であることの表現』 (監督:石井哲也 プロデューサー:小西晴子) | |
![]() | 10月2日(14:00) |
| 10月6日(18:00) | |
| 10月8日(16:00) | |
| 10月9日(18:30) | |
| 10月12日(18:00) | |
| 『野中章弘 〜インディペンデントジャーナリズムの追及〜』 | |
![]() | |
| [プログラム3] | |
| 『寺田靖範氏〜セルフドキュメント』 (監督:寺田靖範 プロデューサー:小西晴子) | |
![]() | 10月3日(17:30) |
| 10月4日(18:00) | |
| 10月10日(17:00) | |
| 10月13日(18:00) | |
| 10月14日(17:00) | |
| 『ドキュメンタリスト 土本典昭 〜NYの旅』 (監督:藤原敏史 プロデューサー:小西晴子・伏屋博雄) | |
![]() | |
| [プログラム4] | |
| 『平野勝之 〜パンクドキュメンタリスト』 (監督:石井哲也 プロデューサー:小西晴子) | |
![]() | 10月2日(16:30) |
| 10月4日(20:30) | |
| 10月5日(18:00) | |
| 10月9日(16:00) | |
| 10月11日(18:00) | |
| 『原一男 〜ゆきゆきて、ゆきゆきて…』 (監督:藤原敏史 プロデューサー:小西晴子・伏屋博雄) | |
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[プログラム1]
『ドキュメンタリスト 黒木和雄 〜いつかきた道』(2005.8月制作)
映画監督 黒木和雄は「ぼくらは物凄い虚構にだまされて15歳まで生きていた」と、この国が太平洋戦争へと歩んだ道を振り返る。米軍が沖縄に上陸、「本土決戦」「一億玉砕」が現実味を帯び始めた1945年春、同級生と共に地元宮崎県の航空機製造工場に勤労動員された15歳の黒木。「沖縄から飛来した米軍機の爆撃に遭い、同級生10人がほぼ即死状態でした。隣を歩いていた宗方君のざっくり割れた頭から脳漿があふれてくる瞬間を見て、恐怖のあまり、ぼくは夢中で走り出しました。救おうともせず、逃げたのです」。黒木少年を襲ったこの出来事は、その後の生き方を変えるトラウマとなった。
黒木が監督した映画『父と暮らせば』 の中で、主人公・美津江(宮沢りえ)に、父(原田芳雄)は言う。「おまいは病気なんじゃ、ちゃんと病名もあるど、生き残ってしもうて亡うなった友だちに申し訳ない、生きとるんがうしろめたいいうて、そよにほたえるのが病状で、病名を『うしろめとうて申し訳ない病』ちゅうんじゃ」。戦争によって黒木と美津江が背負ったトラウマと同じものを、実は多くの人々を犠牲にして「生き残った」この国も背負っていたはずである。しかし、最近は国民の『うしろめとうて申し訳ない病』を撲滅しようという動きばかりが目立つ。戦前・戦中・戦後を知る最後の世代である74歳の黒木は、「いま再び、知らず知らずのうちに〈いつか来た道〉を歩み始めているような気がしてならない」とこの国の未来を危惧し、戦争レクイエム第四部へと向かう。黒木和雄の原点は何なのか!
【黒木和男】
1930年、宮崎県生まれ。少年期を「満州」で過ごし、敗戦を飯野町(現、えびの市)で迎える。
1954年岩波映画製作所に入社、記録映画の演出・監督を務める。'66年『とべない沈黙』で劇映画監督デビュー。その後『キューバの恋人』『竜馬暗殺』など数多くの映画作品を監督。『TOMORROW/明日』『美しい夏キリシマ』に続く、戦争レクイエム三作目『父と暮らせば 』 を、2004年公開。今夏、ふたたび戦争をテーマにした新作『紙屋悦子の青春』を監督する。
[プログラム2]
『野中章弘 〜インディペンデントジャーナリズムの追及〜』(2003.4月製作)
ジャーナリズムの世界で、14年間、インディペンデントのスタンスを貫いてきた野中章弘。79年フォトジャーナリストとして内戦下のカンボジアでの取材を端緒として、アフガニスタン、ソマリア、ビルマ他の各地を取材。87年 アジアプレス・インターナショナル設立。
チベット・ミャンマー・東ティモール・スリランカ・北朝鮮・クルド・パレスチナ他の各地でドキュメントを撮り続けてきた野中とアジアプレスのメンバーが、インディペンデントの姿勢を貫く理由は何なのだろうか? 彼らは、日本のメディアの現状をどう見ているのだろうか?2003年4月イラク・バグダットから、アジアプレスの綿井健陽は、連日生中継の映像を送ってきたが、日本のメディアで戦争中にバクダットに滞在したのは、わずかのだった…。「誰かが記録せねば埋もれてしまう事実というものがあり、歴史の闇を照らす仕事というものがある」という野中章弘の信念はどこからくるのだろうか?
『森達也 〜自分であることの表現』(2003.6月製作)
若者に圧倒的な人気を誇り、国内・海外映画祭で高い評価を受ける森達也。森は、TVプロダクションのディレクターとして、「職業欄はエスパー」「放送禁止歌」ほか40本以上の作品を制作。オウムを取り上げる報道姿勢などの見解違いによって、会社を解雇され、やむなくフリーの立場でカメラを回し続ける。原一男の「ゆきゆきて神軍」の助監督も努めた映画プロデューサー安岡卓治との出会いによって、1998年「A」を映画として完成。「A」の続編「A2」は、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞と市民賞を同時受賞。ベルリン映画祭からも招待を受ける。
オウムの中から森が見たものは何だったのか?「中立や客観などの概念は、複数の主語が作りあげた思いこみでしかない。作品に対峙する時、映像であれ、活字であれ、どんなつくり手も主観的にならざるを得ないのだ。」という視座に森が至るまでの葛藤を辿る。また、安岡との出会い、共鳴、作品へとの結実…人と人がものを作ること、一人ではできない何かがどう触媒され感光するのかをも探る。
[プログラム3]
『寺田靖範氏〜セルフドキュメント』(2003.8月製作)
1993年、「妻はフィリピーナ」で日本映画監督協会新人賞を受賞した寺田靖範。「妻はフィリピーナ」は、日本への出稼ぎに来たフィリピン女性テレサと結婚した寺田が、自らの日常生活を約2年にわたり記録したドキュメンタリーである。自分とフィリピン人の妻テレサ、娘陽子、そして今は亡き母朝子、妹早苗、父光良の日常を撮ったこの作品は、日本の社会が抱える矛盾を痛烈に炙り出している。自分と家族を撮ることは、寺田にとって何を意味していたのか?自分と家族を撮るという手法は、どんな難しさがあり、そこからどんな普遍性が見えてくるのか?
今、障害者を主人公にしたドキュメンタリー映画を制作している寺田は、「役者ではなく、当事者本人が出演することでリアリティーを獲得する。そのことを基盤に物語をつむいでいくドキュメンタリーを作っていきたい」と、黙々と撮影の日々を過ごす。
『ドキュメンタリスト 土本典昭〜NYの旅』(2003.9月製作)
日本戦後ドキュメンタリーの原点を故小川紳介とともに築いてきた土本典昭。1963年に、岩波映画社製作のPR映画「ある機関助士」を制作し、キャリアをスタート。翌年「ドキュメント路上」を製作し、オリンピック直前の東京に生きる人々の姿を撮る。1965年の「水俣の子は生きている」以来、「水俣 患者さんとその世界」「不知火海」「医学としての水俣病・三部作」「水俣の図・物語」他、水俣病と患者を、40年余に渡って撮り続ける。1989年、アフガニスタンに生きる人人を描いた「よみがえれカレーズ」、そして2004年「みなまた日記?甦る魂を訪ねて」を発表。
75歳の土本は、2003年6月、NYのロバート・フラハティーセミナーに招待された。ロバート・フラハティーは、ドキュメンタリーの創始者と言われており、彼の名前を冠したこのセミナーでは、アメリカ各地から終結した映画・TVの制作者が熱い議論を戦わせる。日本の土本の作品は、アメリカの批評家、監督、若き制作者達から絶賛を受け、土本は、20代の映画作家たちから質問攻めにあった。対象の心をひたすら見つめ掬い上げる視点への共感は世代と国境を越えたのだろうか。「ドキュメンタリー映画をつくることは人で出会う事業である」という土本は、NYのチャイナタウンでつぶやく、「アメリカには世界の問題が凝縮されている。これはおもしろい国」だよと。
[プログラム4]
『原一男 〜ゆきゆきて、ゆきゆきて…』(2004.6月製作)
“天皇にパチンコ弾を打った男”奥崎謙三をドキュメントした衝撃作『ゆきゆきて、神軍』の鬼才・原一男は、「僕はとっても臆病な人間なんです」と語る。だからこそ「強い人間」に惹かれるのだと原は言う。ドキュメンタリーの限界にチャレンジし続ける原一男が、生い立ちを赤裸々に吐露。母親が大好きだった原は、「10年たったら東京に家を建てて呼んであげるから」といって東京に出てきた。約束を果たせないまま母は他界。「母ちゃんごめんね」と、原はつぶやく。生まれ故郷の山口にある母の墓に墓参する旅に同行しながら、原の心の旅を追う。
また、撮影の苦難、奥崎に「殺人の場面を撮って欲しい」と言われたときの苦悩、それでも映画を作り続ける情熱はどこからくるのか、映画を作るとは、ものをつくるとは何なのかを、原一男本人と、70年代、80年代の熱い時代の空気の中で映画を製作してきた、妻でありプロデューサーである小林佐智子、編集の鍋島淳、助監督であった映画プロデューサーの安岡卓治他関係者へのインタビューから探る。
『平野勝之 〜パンクドキュメンタリスト』(2003.7月製作)
平野勝之。1976年に始まった「ぴあフィルムフェスティバル」で、1985年「狂った触覚」で入選、86年「砂山銀座」で入選、97年「愛の街角2丁目3番地」で入選と、3年連続入選という画期的な軌跡を残す。その後、90年アダルトビデオ監督としてデビュー。97年、AV女優の林由美香との自転車北海道旅行を描いた「由美香」で劇場公開を果たす。98年「流れ者図鑑」を劇場公開。そして99年、北海道自転車三部作完結編「白 THE WHITE」を完成し、劇場公開。この自転車3部作は、映画関係者から高い評価を得る。あの椎名林檎が、当時の上映館に来場し、平野勝之に、CDのPVを依頼しにきたという逸話も残す。「夢はハリウッド!!」という平野は、ドキュメンタリーの手法をとりながら何を目指すのか…ドキュメンタリストなのか、ただの冒険者なのか??
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アロハ坊主の日がな一日
10.12 22:09
buy phentermine
03.24 6:54
buy phentermine
03.24 7:31
コメント
NextFrame Nippon 2005
7/18-20

テンプル大学ジャパンの学生が中心となり運営する、日本で唯一の国際学生映画祭「ネクスト・フレーム・ニッポン」は、今年で7年目を迎え、7月に東京で開催されます。米国の映画祭「NextFrame」で受賞した作品の上映を中心に行い、日本国内の学生や観客と、第一線で活躍する映画人の接点を探るユニークな映画祭です。続きを読む
『隣室』他・竹浪明映画上映+柳下美恵演奏会
4/28(金)

『隣室』他・竹浪明映画上映+柳下美恵演奏会 4/28(金)19:00開場 19:30上映開始 当日一般¥2,000/学生・シニア¥1,800(1ドリンク付) 幻想と自然美を描く竹浪明監督の詩的短編3作品(トーキー)の上映と、無声映画伴奏&作曲家・柳下美恵の演奏会。映画『水宮の丘の上』(2003年/20分)『秋の浮き輪』(2003年/18分)『隣室』(2005年/27分)を上映。 竹浪明:映像作家・文筆家(http://takenamiakira.jp)句集『楽想』、「平間至写真賞優秀賞」他を受賞。 柳下美恵:作曲・演奏家CD『サウンド・オブ・サイレント』、DVD『裁かるるジャンヌ クリティカル・エディション』。...続きを読む









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