1995年10月にオープンした
マイクロ・カフェシアターです

映画の上映をメインに
ライヴ、DJ、トークショー
パフォーマンス、写真展
シンポジウムなど
様々なイベントを開催中

施設レンタルのご案内

〒150-0042
東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F
tel.03-6825-5502
fax.03-3485-8785

factory@uplink.co.jp

整理券配布/イベント予約について

【整理券配布】
X、FACTORYでのイベント上映につきましては、各開場時間の1時間前から整理券を配布しております。開場は上映開始の15分前からのご入場になります。

*前回の上映作品によって開場時間が10分前の場合もございます。あらかじめご了承下さいませ。

*整理券をお持ちのお客様でも、開場時に会場にいらっしゃられない場合はご入場を優先致しませんので、お気をつけ下さいませ。

【イベント予約】
一部イベントではメール予約を受け付けています。
予約方法等に関しては各イベント記事をご覧下さい。

*尚、予約の際、携帯電話からのメール予約は受け付けておりませんので、かならずパソコンのアドレスからお願いいたします。

年末年始の休館日
UPLINK X 休館日:12/31(水)〜1/1(木・祝)
UPLINK FACTORY 休館日:12/30(火)〜1/1(木・祝)
UPLINK Tabela 休館日:12/29(月)〜1/2(金)

Extreme Love エクストリーム・ラブ

日時:2/25〜3/2
スケジュールを確認する

Extreme Loveエクストリーム・ラブ
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テーマは"極限の愛"。
フランス映画の中から最も過激な愛の表現を描いた作品をセレクトしてノーカット特集上映!!
芸術における愛、それも「極限」の愛を描く映像表現は本来、一切の制限を受け付けるべきではない。
フランスのアヴァンギャルド・エロティック・フィルムを代表する映像作家、フィリップ・グランドリュー監督来日と共に、長編・短編、合わせて上映される28本のエロティック・シネマ、そのほとんどが日本では未公開作品である。

2/25〜3/2 1回 ¥1,200/3回 ¥3,200 / パスポート(期間中ご利用頂けます)¥7,000


『エクストリーム・ラブ』は<R-18>指定です。
18歳未満の方のご鑑賞は固くお断りします。

【会期】2008年2月25日(月)〜3月2日(日)
【主催】フランス大使館、有限会社アップリンク
【協力】東京日仏学院、CKエンタテインメント株式会社、株式会社プレノンアッシュ、
【会場】UPLINK FACTORY

↑上映スケジュールはこちらをクリック


ゲスト決定!!

2月25日(月)
フィリップ・グランドリュー(映画監督)
寺島しのぶ(女優)
廣木隆一(映画監督)
ステファン・サラザン(元カイエ・デュ・シネマ)(ナビゲーター)

2月29日(金)
フィリップ・グランドリュー(映画監督)
浅井隆(アップリンク主催)
ステファン・サラザン(ナビゲーター)

3月1日(土)
フィリップ・グランドリュー(映画監督)
足立正生(映画監督)
浅井隆(ナビゲーター)


プログラムA:フィリップ・グランドリュー(1)

『Met』
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監督:フィリップ・グランドリュー/フランス/2005年/5分

『Sombre』
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監督:フィリップ・グランドリュー/フランス/1998年/110分
出演:マルク・バルベ、エリナ・ロウェンソン

もしゴダール、パゾリーニそしてグランドリューをシリーズ化するなら、おそらくこう記されるはずだ、彼らはフィルムの織物に織り込んだ警告とサインを事あるごと観客に与えると。彼らが示すのは、そこでは映画そのものに関する何事かが問題になるということ。それらすべてのマニフェスト=フィルムたちが、断絶をもたらし、この何事かを内包する。まるである瞬間にフィルムリールの交換が声高に響き渡り、映像たちが観客にこう語るかのように。

プログラムB:フィリップ・グランドリュー(2)

『Putting Holes in Happiness』
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監督:フィリップ・グランドリュー/フランス/2007年/5分
音楽:マリリン・マンソン

『La Vie nouvelle』
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監督:フィリップ・グランドリュー/フランス/2002年/102分
出演:ザック・ナイトン、アナ・ムグラリス、マルク・バルベ、ゾルト・ナジィ

このフィルムを着想した方法のなかで思考され考慮されたのは、心理的な関係性という問題よりもさらに、強度という問題だった。私の夢は極めてスピノザ的なフィルムを作ること、それは倫理的な諸々のカテゴリー上に構成されるフィルムだ。つまり怒り、歓び、高慢…、そして願わくは、それぞれのカテゴリーが実際には感覚の純然たる塊となり、突如としてひとつから別のひとつへと移行するように、またこのフィルムがエモーションと情緒の絶えざる震えとなるように、そしてそれらすべてによって我々が再び結びつけられ、すべてを混ぜ合わせ醸造する素材――乳児期の、初期期代の、あらゆる幼年時代の知覚的素材――のなかに我々が再び組み込まれるように。つまり言葉以前。そこに在る力こそが、欲望という意味において、このフィルムを作り出したのだ。 (フィリップ・グランドリュー)

プログラムC:古典および現代のエロティック短編映画

『愛の唄』(Un Chant d’amour)
監督:ジャン・ジュネ/フランス/1950年/25分

『Jambes』
監督:ピエール・モリニエール/フランス/1964年/10分

『Satan bouche un coin』
監督:ジャン=ピエール・ブイクス/フランス/1967-68/10分

『Carmilla 2005』
監督:ステファヌ・デュ・メスニルド/フランス/2000-2005/10分

『Ogres』
監督:ジャン=ポール・ノゲス/フランス/2001年/7分

『Rythmixxx』
監督:ラファエル・グレイ/フランス/2002年/7分

『Blue Job』
監督:ステファニ・ドゥ・ロッピノ/フランス/2004年/3分

『Fig. 4』
監督:オーギュスタン・ジメル/フランス/2004年/4分

『Flesh』
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監督:エドゥアール・サリエール/フランス/2005年/10分

オーギュスタン・ジメルの『Fig. 4』(2004)は映画のスクリーンを震えさせ、身体に施す質変容からくる膨張と収縮について作業を行いながら、ポルノグラフィックな図像学を象徴として用いる。またステファヌ・デュ・メスニルドはシェリダン・レ・ファニュを翻案しながら、その血なまぐさい愛撫だけを保存し(『Carmilla 2005』)、エドゥアール・サリエールは『Flesh』(2005)によって9・11についての純然たる挑発的フィルムを作り上げてみせた。そして後者の名簿にはエロスという抵抗者たちがいる。ジャン・ジュネとその暴力的な『愛の詩 Chant d’amour』(1950)、造形家ピエール・モリニエールは彼自身の『Jambes』(1964)を愛し、アナーキストたるジャン=ピエール・ブイクスはモリニエールの熱狂的賛美者であり(『Satan bouche un coin』1968)、それからラファエル・グレイと幸福極まるその『Rythmixxxx』(2001)、そしてジャン=ポール・ノゲスと悩まし気なその『Ogres』(2001)はフェラチオを獰猛な愛へと崇高化する。若き女性映画作家ステファニ・ドゥ・ロッピノによって再び手を付けられたのは、アンディ・ウォーホール『Blow Job』の、かの有名なドライヤー的映像の数々だ。その『Blue Job』(2003)はオリジナルの視覚的かつ聴覚的な官能性を際立たせ、そこからメランコリックで痛切な重みを露にしてゆく。

プログラムD:イヴ=マリー・マエと実験ラボ「エトナ」

『Va te faire enculer』
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監督:イヴ・マリー・マエ/フランス/1998年/10分

『Fuck』
監督:イヴ・マリー・マエ/フランス/1999年/4分30秒

『Bienvenue! Va crever!』
監督:イヴ・マリー・マエ/フランス/2001年/4分

『Hybride』
監督:イヴ・マリー・マエ/フランス/2001年/7分

『Bitte』
監督:イヴ・マリー・マエ/フランス/2001年/4分

『Aldebaran』
監督:ユーゴ・ヴェルランド/フランス/2001年/9分

『Lightning』
監督:オテロ・ヴィルガール/フランス/2002年/7分

『Filles flammes』
監督:ヴァンサン・ドゥヴィル/フランス/2004年/3分

『Terrae』
監督:オテロ・ヴィルガール/フランス/2004年/7分

『Dellamorte Dellamorte Dellamore』
監督:ダヴィド・マタラッソ/フランス/2000年/3分

『De l’amort』
監督:ジョアンナ・ヴォード/フランス/2006年/7分

今日まででもっとも有名なイヴ=マリー・マエのフィルムはなんとも穏便にこう名付けられている、「掘られちまえ」(Va te faire enculer)、と。それは「伝統的」な――ポルノ映画の人々がポルノでない映画を指すのに使う見事な呼び方―フィルムたちを支配する。彼女がそこで執着するのはポルノ映画の魅惑的な凡庸さ、そして抵抗なしにどんな行為も甘受する白痴的で月並みな身体の、その白痴という月並みな状態だ。イヴ=マリー・マエのフィルムたちはその資料集に対してこれ見よがしな態度も意地悪さも見せはしない。

プログラムE:リオネル・スカズ

『Nu lacté』
監督:リオネル・スカズ/フランス/2002/5分

『iXe』
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監督:リオネル・スカズ/フランス/1980/48分
出演:リオネル・スカズ

性に関するポルノグラフィックな試みはさまざま存在する、だが必ずそれらは自らの性的モチーフがポルノの分野に属するのに内側から抗議し、言わばまさしく恥辱を拒否する。そんなヒロイックなフィルムたちこそ検閲の最前線に位置する。今日に至るまでそのもっともラディカルなものはいまだリオネル・スカズの『イクス iXe』(1980)だ。

プログラムF:ヴィルジニー・デパント

『ベーゼ・モア』

監督:ヴィルジニー・デパント、コラリー・トラン・ティ/2000年/77分
出演:ラファエラ・アンダーソン、カレン・バック、ジャン=ルイ・コステス

ヴィルジニー・デパントは今日フランスでもっとも重要な女流作家かつエッセイストのひとりだ。今日に至るまでの彼女唯一のフィルム、燃え盛るアナーキーな煽動者『ベーゼ・モア』は、その崇高な性質からしてさえも、1930年の『黄金時代』に値するスキャンダルを喚び起こした。果たして本当だろうか、慎ましく、攻撃的で、無責任で絶望的で、そして身体しか扱わない一本の小さなフィルムが崇高に属しているとは?
『ベーゼ・モア』はまさにこの「野獣的」で獰猛、そして真実という麻薬中毒にかかり、アイロニーに酔いしれたフィルムだ。

プログラムG:カトリーヌ・ブレイヤ

『本当に若い娘』

監督:カトリーヌ・ブレイヤ/1976年/93分
出演:ハイラム・ケラー、シャルロット・アレクサンドラ、ブルーノ・バルプ、リタ・メイデン
『本当に若い娘』、それはとても孤独で閉じこもった身体の発見であり、羞恥と快楽との往復運動です。(カトリーヌ・ブレイヤ)


1975年に作られたこの処女作で注目すべきは、何よりまず、「見せる」ということの大きな自由だ。『本当に若い娘』はコンプレックスから解放され、全的に開かれたフィルムとして現れ出る。いわば物惜しみなきフィルム、それはエロティシズムへの男性的視線のコードをブレイヤが激しく攻撃していることを意味する。

※全作品デジタル上映

『エクストリーム・ラブ − フィリップ・グランドリューを巡って』
ニコル・ブルネーズ

(解説本文)
 我々の身体はくまなく政治的だ、そしてあらゆるものが我々からそれを奪おうとつねに狙っている。身体とは我々自身であると同様に他者であり、内部と同様に外部であり、精神的なものと同様に社会的なものだ。そのとき、屈従や経済的抑圧や具体的な搾取から出る批判を超えて、我々に反撃を許し給うものとはいったい何なのか? 愛、過激な愛、すなわち世界のいかなる些事をも見逃さず、我々の生の条件に備わる負性をもっともおぞましく秘密めいた奥底まで担い、それに備わる欲動と欲求の爆発にその負性を委ねる、そんな愛だ。持たざるときにはすべてを与え、一片の尊厳を守るためにはすべてを破壊する、こうして“Extreme Love”(エクストリーム・ラブ)=「極限の愛」を描く映像は全面的な解放声明を放つ。それらはもはや何も信じない、ただネオリベラル資本主義体制において我々が心根果てまで持たざる者になっていることを承知している。しかしまさに、だからこそ、それらの映像が声高に叫び続けるのは美の、侵犯の、そして歓びの権限なのだ。その名において我々はまだ生きねばならぬ…。
 性はここで「ペルソナ=仮面」が傷つく場として定められる、だがそれが行われるのは解放的な歓喜のなかではなく(1967年に二十歳だった世代の持つユートピア)、一切の生命体をもはや残さぬような破壊のなかだ。なぜならその破壊は存在をむさぼり喰い、しかもそれは存在が存在しようとするその欲望にまで及ぶからだ。ジョルジュ・バタイユの勝利、その黒きアウラがフィリップ・グランドリューの、カトリーヌ・ブレイヤの、リオネル・スカズの、そしてヴィルジニー・デパントの求めるエロスに刻印される。このアーティストたちがその演者の身体から狩り出すのは、ジャンル映画が決して彼らに与えないもの、すなわち驚き、深さ、そして愛だ。このような場違いかつ政治的な企てから出現するものこそ、諦念と自傷という方法でイデオロギーが我々に植え付けるすべての事柄と完璧に矛盾する概念なのだ。
 この「決定的な」(『ベーゼ・モア』のヒロインたちが使う形容詞)星回りにおいて、フィリップ・グランドリューの仕事は特異な煌めきを放ち、目の覚めるような勇気を宣言する。『Sombre』(「翳り」の意)(1998)、『La Vie nouvelle』(「新しい人生」の意)(2002)、そしていま『L’Arrière-saison』(「季節の終わり」の意)(2006)、またやがて来る『Un Lac』(「湖」の意)(準備中)が、映像の発明においてコスケール洞窟以来もっとも放蕩たる作品群を発見させてくれる。フォトグラムによるひとつの造形的な傑作だ。そこにあるひとつの美学、それが示すのは、映像は我々に世界を見せてはくれず、我々が世界に貫かれる仕方を気付かせてくれるということ。そこにあるひとつの倫理学、それが示すのは、映像は我々に何も与えず、またその作用は所有や保証をもたらすのではなく、未知なるもの、認められぬもの、知られざるものに小道を拓くのだということ。深い知性、果てないエネルギー、無限の芸術的寛容、それらによって映画全体に再び息吹が与えられ、新たな世代の映画作家、ヴィデオ作家、写真家や造形家の探求に霊感がもたらされる。フィリップ・グランドリューを通して映画がついぞ我々に与えるのは、彼自身がジャン・エプスタインについて語るごとく、「身体のこの現前、つまり事物たちが思考を交錯させるための厚み」なのだ。

(プロフィール)
ニコル・ブルネーズ
パリ第一大学(パンテオン・ソルボンヌ)准教授
フランス・シネマテーク、アヴァンギャルド映画プログラム責任者


スケジュール

NO BRAND !! Presents 『ワイワイ・ガヤガヤ展』VOL.6-もうXSHIBUYAは春爛漫!?-

日時:2/10(日)・2/11(月・祝)(13:00開場/20:00閉場)

第6回目の『ワイワイ・ガヤガヤ展』も、 前回に引き続き “XSHIBUYA” とのコラボ企画。 前回参加した人も、今回新たに参加する人も、みんなまとめてワイワイ・

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ぜんじろうの一人噺(2月)

2/17(日)18:30開場 / 19:00開演

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