監督・脚本/ロウ・イエ (LOU YE)

1965年3月15日、上海の劇団員の両親のもとに生まれる。子供の頃は舞台裏と衣装部屋で過ごしたという彼は、小・中学時代からの映画好き。画家を志し美術高校に進学。大学でも美術を志望したが、不合格となり北京電影学院映画学科に席を置く。学生運動と天安門での大虐殺が起きた頃で、当時の北京電影学院は、のちに第六世代の映画作家と呼ばれるグループの溜まり場でもあった。旧ソビエト映画の影響も弱まった学院には、折からの改革開放の気運もあふれ、学生達は年間に数百本もの映画を観る幸運に恵まれた。そこで彼らは、ニューヨーク大学やUCLAと同様、ヨーロッパの映画作家達に、多くの影響を受けていった。

ロウ・イエの卒業製作映画となった『WEEKEND LOVER』(デッド・エンド 最後の恋人)(93)は、80年代から90年代初期にかけての上海の満たされない若者たちを撮ったものだ。中国の伝統と典型的な中国文化に重きをおいた第五世代の監督達の作品とは、一線を画した本作は、中国映画史上、最年少の作家が集まって製作した点でも話題となった。1996年のマンハイム・ハイデルバーグ映画祭で監督賞を受賞。

1995年、彼は中国ではインディーズ映画を撮るための資金を調達できないと判断し、テレビの世界に足を踏みいれ、話題の‘スーパー・シティ・プロジェクト’を企画する。いわゆる第六世代の仲間数人によるシリーズものとなった、このプロジェクトで、ロウはプロデューサーとして彼らに心ゆくまま自分の撮りたい作品を撮るチャンスを与えた。彼自身が手がけたサイコミステリー・ドラマ『DON'T BE YOUNG』(危情少女)(95)はテレビ用の長編映画だが、ナレーションなしに作られ、その演出は中国のテレビ映画界に衝撃を与えた。

1998年、ロウは自らの会社ドリーム・ファクトリーを設立。中国初のインディーズ映画製作会社となる。ドイツのTHE COPRODUCTION OFFICEのプロデューサー、フィリップ・ボバーとタッグを組んで製作した1作目が本作『ふたりの人魚』である。2000年、本作はロッテルダム国際映画祭のグランプリに当たるタイガー・アワードとTOKYO FILMeX2000のグランプリを受賞。陽春に日本での公開が決定した。また、タイム誌の選ぶ2000年ベストムービーのベストテン第6位 に選出され、海外での評価の高さを証明した。

ロウ・イエ監督インタビュー>>