33年間の拷問と投獄、チベット僧パルデン・ギャツォの不屈の精神を描いたドキュメンタリー映画『雪の下の炎』

雪の下の炎

コラム

生き延びたからこそ、彼が失ってしまったものの大きさが胸に迫る。
すがすがしくない映画だからこそ、心に刻みつけておきたい。

── よしもとばなな 作家

国家権力が行う犯罪ほど恐ろしいものはありません。それは私たちがいつ巻き込まれるか、それを行う側になるかわからない。そう考えると、パルデン・ギャツォ老師の悲惨、勇気、信念の強さに頭が下がります。チベットの問題は、私たち自身の問題なのです。

── 湯川れい子 音楽評論・作詩家

30余年にも及ぶ幽閉と拷問の日々を生き抜きながら、今、自分に耐え難き苦痛を与えた“敵”のためにさえ祈ることのできるパルデン・ギャツォ師の境地を、この映画を通して感じ取ってもらいたい。真の祈りの姿がここにある。

── 龍村 仁 映画「地球交響曲」監督

チベットの人の苦難の途方もない重さに力いっぱい迫ろうとしている貴重なドキュメンタリーです。

── 佐藤忠男 映画評論家

「静けさの中での闘志」

                     上田紀行(文化人類学者、東京工業大学大学院准教授)


 ひとりの僧侶が私たちの目の前にいる。彼は自分の人生を淡々と語る。
 遠くから見ればその姿は穏やかで、心の修練を積みながら年齢を重ねてきた老僧そのものだ。しかし、ひとたびその人に近づいてみれば、その静かな語り口の中に秘められた力、その目に宿された強い炎に私たちは身じろぎもできない。
 雪の下の炎・・・このタイトルは、まさにこの映画を象徴している。

 この映画に映っているのは“闘志”である。
 私はいまだかつて、このようなとてつもない闘志を見たことがない。もちろんスポーツを、それも格闘技などを見れば、そこに激しい形で瞬間的に表出される闘志を見ることができる。しかし、このような静けさの中での闘志、それも半世紀も続く闘志=闘うこころざし=をいったい私たちは目の当たりにしたことがあるだろうか。
 33年にわたる投獄。筆舌に尽くしがたい拷問。それでもくじけない。闘い続ける。
 そして、牢獄という苦しみから解放された後も、闘い続ける。

 その闘志の根源はいったいどこにあるのか。
 仏教の僧侶と“闘志”とは似つかわしくない、と思う人もいるだろう。仏教とは心の平安を追究する教えだ。それが「闘い」とは何事だ。特に日本の僧侶達はそんなことを言いそうだ。
 しかし、2年前にダラムサラでダライ・ラマ14世と2日間対談させていただいたとき、「弱者への差別や暴力を見ると、怒りの気持ちが湧き上がってきます。しかし日本の僧侶たちの中には、そんなことで怒っているのは修行が足りない。何が起こってもニコニコ暮らせ、と言わんばかりの人もいます。仏教徒は怒ってはいけないのでしょうか?」という私の質問に、ダライ・ラマ14世は毅然として答えた。
 「怒りには、慈悲から生じるものと、悪意から生じるものという、二つのタイプがあります。心の根底に他者に対する思いやりや慈悲があって生じている怒りは、有益なものであり持つべき怒りです。他者を傷つけたいという悪意から生じる怒りは、有害で鎮めるべき怒りです。悪意からの怒りは人に向けられます。しかし、慈悲からの怒りは人に対してではなく、行為に対して向けられます。ですから原因となる行為が無くなれば、怒りも消滅するのです」
 それまで快活に話されていたダライ・ラマ14世が、俄然エキサイトし、身を乗り出して熱く語り出した瞬間だった。そして、「それでは社会的不正に対する怒りは、その不正がなくなるまで、ずっと持ち続けるべきなのでしょうか」と問いかけると、
「そうです。その目的が果たされるまで怒りの気持ちは維持されるべきです。たとえば、中国が人権を侵害し、拷問を続けているといったような、ネガティブな行為が続いている場合、そういった間違った行いが存続している限り、それをやめさせようという怒りの気持ちは最後まで維持されるべきなのです」と答えられたのだった。(『目覚めよ仏教!—ダライ・ラマとの対話』NHKブックス)
 慈悲の菩薩である観音菩薩が建国したチベット、そしてその化身であるダライ・ラマ14世は、愛からの怒り、慈悲からの怒りを語った。慈悲があればこそ、怒るのだ。利他の心から、差別や暴力に対して敢然と立ち向かうのだ。もしかしたら、そのときダライ・ラマ14世の脳裏には、何日間も対話を積み重ねたという、パルデン・ギャツォの姿が浮かんでいたのかもしれないと、この映画を見て、いま思う。

 しかし、パルデン師は数限りない拷問と、想像を絶する獄中での苦難を振り返りながら、こんなことをつぶやく。
「暴行の責任がすべて彼らにあるわけではない。殴り方が甘いと、彼らも職を失うことになる。愛国心が足りないと、非難されるのだろう」
 非人間的な暴力で自分を痛めつける者に対しての、この慈悲のまなざしはいったい何なのだろう。
 アメリカでの著名な社会仏教行動家であるジョアンナ・メイシー女史の本にも、透徹した慈悲のエピソードがある。ある時、彼女の求めに応じて、親しい僧侶がそれまで話すことのなかった、中国軍が彼らに対して行った、残虐きわまりない物語を語った。ショックを受け、彼女は湧き上がる悲しみと怒りにため息をつくしかなかった。しかし、僧侶はこう言う。
「かわいそうな中国人たち――こんなにひどいカルマ(業)をつくってしまって」(『世界は恋人 世界はわたし』筑摩書房)
 ここまでの次元の慈悲を人間は持つことができるのか! メイシー女史を揺り動かしたこの感慨は、おそらく私たちがこの映画を見て感ずる思いと同一のものだ。

 私たちのその思いはどこに向かうのか。
 映画には映っていない一人の人物がいる。大学時代にパルデン・ギャツォの存在を知り、数年後にニューヨークで彼の自叙伝を読んで、霊感に打ち震えた人物だ。私は監督とお会いしたことはないが、ダラムサラに師を訪ね、トリノに同行して映画を撮るという行動が、パルデン師の存在を知ってしまった彼女の、やむにやまれぬ行動だったのだということが、この映画を観て痛いほどわかる。
 パルデン・ギャツォという、雪の下の炎は、私たちの慈悲を目覚めさせ、私たちの心にも熱い火をともす。そう、次は私たちが行動する番なのである。

── 上田紀行 文化人類学者、東京工業大学大学院准教授

「忘れられない気高い魂―パルデン・ギャツオ」

           パオロ・ポッビアティ(アムネスティインターナショナル イタリア支部長)


 ある日突然、その後忘れることができなくなる力強い印象を残す人物に出会うことがある。そして私にとってパルデン・ギャツオは、まさにそんな人物の一人だ。
 1995年3月、彼が初めて欧州を訪れる際、私は彼のイタリア滞在10日間の日程すべてに同行することになった。その時私たちの手元には、オランダ人のボランティアのメンバーによってまとめられた「悲劇の生き証人」だという彼に関する略歴の書類一式があっただけで、それもきわめて限られた情報だったので、私は彼のことも彼が生きてきた人生についても、ほとんど知らなかったと言っていいだろう。だから到着して早々、彼がミラノの新聞社によるインタビューで語った内容の凄惨さ、さらには、常に持ち歩いている小さな包みから取り出して見せた、長い年月、獄中で拷問を受け続けた時に使われたものと同型の拷問道具の忌まわしさに、表現しようのない大きなショックを受けたのだ。そのインタビューの途中、居合わせたプレスのメンバーとふと視線を交わすと、二人とも今にも涙がこぼれそうに目が潤んでいて、一体どこに視線を移せばいいのか、互いに困惑してしまった。ジャーナリストは話を聞きながら、あまりに恐ろしい彼の体験談にすっかり血の気を失しない、インタビューの要点をチェックすることさえ忘れている。当のパルデンはというと、33年間にも渡る身の毛もよだつ虐待を、おだやかに、落ち着いた様子で語っていた。
 その後の10日間、いくつもの講演、そしてインタビューに私は同行したわけだが、彼の証言とともに小さな包みから取り出される拷問道具の数々を見るたびに、当初のショックがよみがえるのを私は禁じ得なかった。また、彼の話を聴きにやってきた何百人もの人々の瞳がみるみるうちに潤んでいくのを、毎回目撃することとなったのだ。

 我々アムネスティ・インターナショナルが、彼のケースに従事し始めたのは比較的遅い時期である。1959年―アムネスティ・インターナショナルが設立されたのはその2年後だが―に中国側に不当に逮捕されたにも関わらず、名前も経歴もまったく分からないままに投獄され続けている多くのチベット人政治犯の一人として、彼の擁護を始めたのは1985年のこと。彼のケースはイタリアセクションに任され、1992年8月、解放のニュースが届き彼がインドへ無事亡命するまで、我々は彼の解放を実現させるために何万もの署名を集め、何百もの手紙を送り続けた。その当時、私はアムネスティ・インターナショナルのイタリアセクションで、東アジア地域の人権擁護活動のコーディネートをしていたが、解放されたパルデンは、その後瞬く間に、特定の宗教あるいは思想を持つというだけで不当な暴力にさらされ惨い制裁を受けている多くの人々の、シンボル的存在となっていった。

 実際、パルデンだけが獄中で特別にひどい拷問を受けたわけではないのだ。彼が語る悲劇の体験は、同じ境遇にいるチベットの獄中の、そして中国の獄中の数多くの政治犯たちが、昔も今現在も継続して体験し続けている事実でもある。彼の受けた残虐な拷問は、今この時も容赦なく続いていることを我々は忘れるわけにはいかない。

 公私に渡り、私は彼の数多くのイタリア訪問に同行する機会に恵まれた。彼は何処に赴いても、自身の存在がイタリアの人々を魅了し、深い共感を持って受け入れられることを目の当たりにすることになる。彼は悲劇的な体験を人々に語るだけの単なる「語り部」ではなかった。痩せたちいさな身体、拷問ですっかり歯を失ってしまった口元、輝く瞳、痛めつけられ、ひどい傷跡を残した肉体と心に宿る品格と気高い魂で、出会った人に深い感動を残さずにはいられない人物だった。
 33年もの獄中生活の間には、憎しみや憤慨の気持ちが生まれる瞬間もあったのではないかと、獄中にいた当時、看守にどのような気持ちを抱いていたのかを直接質問してみたこともある。彼は「看守に対して一度も復讐心を抱いたことはない。彼らは単に規則に従っているだけで、彼ら自身も苦悩に喘いでいるのだから。それに中国人の一般市民を恨んだことはない」と答え、さらに「でも、中国政府には、他のどの国にも見られないこのひどい状況を恥ずかしく思わないのか、と尋ねてみたかった」と付けくわえた。

 私とパルデンは最近の数年間も幾度となく会う機会があったが、2006年、彼とその他2人のチベット人青年によって決行された、冬季オリンピック開催中のトリノでの13日間のハンガーストライキは大変印象的な出来事である。彼らがハンガーストライキを決行していたオリンピック会場から遥か遠く離れた郊外に設えられたテントは、期間中チベット人たちだけではなく、アムネスティや他のサポートアソシエーションの活動家、またジャーナリストやチベット問題に共感するたくさんの人々、いわば巡礼者たちが訪れるセンターにもなっていた。ついには心を動かされた国際オリンピック委員会のメンバーまでも訪れたが、このとき両者で交わされた約束は結局果たされることはなかったということも、言っておかなければならないだろう。
 
 さて、彼の思い出で最も私の心に残っていること。それは今から約10年前のダラムサラでの出来事だ。その時の訪問が、彼と出会って以来、最も素敵で美しい彼の姿を私の脳裏に焼きつけることになった。私に会ったその瞬間、パルデンはにっこり笑いながら、口のなかに整然と並んだ、輝く真っ白い歯を見せたのだ。それは、電熱の通った棒を口の中に突っ込まれるという、度重なる残酷な拷問のせいで、すっかり歯を失っていた彼の新しい「入れ歯」だった。その真っ白い歯を口元に覗かせる彼の笑顔が、33年間もの長い過酷な獄中生活で失われた彼の人生の蘇生の証のように、また、長い闘いのあとの彼の人間性の勝利のように私には感じられ、得もいえない感動にとらわれたのである。
 
 彼がおだやかな老後を過ごすための権利が今後も充分に守られることを、私は常に願っている。そして、チベットの人々が巻き込まれた全く不当な悲劇を、さらに多くの人々に伝えるために自分の人生を捧げるという彼の決意と、今もなお、獄中で自由とチベットの独立を願いながら、恐ろしい拷問に耐えている人々のことをいつも忘れずにいる。パルデン・ギャツオは、現在もなお獄中にいる彼らのために語り続けているのだ。

訳)ミキ・ハリシュマ

── パオロ・ポッビアティ アムネスティインターナショナル イタリア支部長

「雪の下の炎」の上映によせて」
                               アムネスティ・インターナショナル日本


中国の弾圧、そして民族蜂起から50年
1950年、中国は圧倒的な軍事力でチベットを侵攻しました。中国の一部となり僧院破壊、遊牧民の定住強制など、チベット従来の社会の仕組みが壊された結果、チベット人の間に反中国の抵抗運動が広がりました。1959年3月にはラサで大規模な反乱(ラサ蜂起)が起こり、チベット僧パルデン・ギャツォさんはこのときに投獄されました。過酷な拷問を受け目の前で次々と息絶える仲間たち。彼らが遺した無念と悲しみはパルデン・ギャツォさんの中で不屈の精神となって結晶し、獄中の33年間、彼を支え続けたといいます。

自由の剥奪
中国の支配下では、「ダライ・ラマ万歳」「チベットに自由を」などのスローガンを叫んだだけで、裁判もなしに刑務所に投獄され拷問を受けるなど、過酷な環境下で数多くのチベット人が命を落としています。僧院など復活した宗教施設では、僧侶たちに対し「愛国教育」が行われ、そこでは宗教指導者ダライ・ラマ14世を非難、批判することが強制されています。拒否した僧侶は拷問されたり僧籍が剥奪され、僧院から追放されます。また、チベットではダライ・ラマ法王の写真を掲げることすら禁止されています。チベットの将来を悲観し、命懸けでヒマラヤの山を越え、ダライ・ラマ14世とチベット亡命政府が待つインドに亡命するチベット人も後を絶ちません。2006年には、ネパール国境の山中で中国の国境警備隊によって亡命チベット人たちが射殺される衝撃的な映像が世界中のメディアに配信されました。

中国全土でも
チベットだけでなくウイグルその他の地域でも、独立運動にかかわったとして処刑されたり投獄されたりしている人びとがいます。また、中国政府の支配が及ぶ全土で、表現や移動の自由、安全の権利が尊重されない状態が続き、「国家の安全を危険にさらした」という曖昧な理由で、平和的に活動している人権活動家が拘禁され有罪になるケースも増えています。中国では、漢民族そしてその他の少数民族もまた、チベット人と同様に深刻な人権侵害の危機にさらされているといえます。

アムネスティの取り組み
アムネスティ・インターナショナル日本はこれまで、刑務所から生還したチベット人の元「良心の囚人」を日本に招待し、チベットで行われている人権侵害の実態を伝える報告会を全国各地で開くなど、チベット人の声を日本に届ける活動を行ってきました。またアムネスティは、チベット自治区内の刑務所に収容されている政治囚などの即時釈放、拷問や虐待の停止、待遇の改善などを当局と刑務所に要求する「手紙書きアクション」も長年行っています。パルデン・ギャツォさんもそうした国際的な救援活動により釈放された一人です。アムネスティは、国境を越えて世界中の人びとと手をつなぎ、今なお投獄され、拷問に苦しんでいる多くのチベット人を救うための手紙書きを呼びかけています。

現在と未来をみつめて
2008年3月の弾圧以後、中国政府は海外メディアやジャーナリストの立ち入りを厳しく制限しているため、チベットに関する正確な情報が不足しています。このような中、アムネスティ日本は、1人の僧侶の人生を通してチベットの人びとの声に耳を傾け、現在も続くチベットの人権問題をより多くの人びとに知ってもらうことを願い、「雪の下の炎」の上映に協力しています。
このフィルムが、世界中の人びとの心に届き、チベットの人びとに1日も早く明るい未来をもたらすことを期待してやみません。

アムネスティ・インターナショナル日本 公式HP

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