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アントニオ・エル・ピパ・フラメンコ・アンサンブル / ANTONIO EL PIPA FLAMENCO ENSEMBLE

ヒターノにとってフラメンコは感情を吐き出し表現する手段なんだ

Tientos Tangos / ANTONIO EL PIPA FLAMENCO ENSEMBLE

フラメンコの聖地、アンダルシアの最南端までわずか70kmの位置にあるヘレス・デ・ラ・フロンテーラのフラメンコ(そしてヒターノ/ジプシー)・ファミリーの一員として生まれたアントニオ・エル・ピパは、 バイラオール(フラメンコ・ダンサー)としての人生を運命づけられたような男である。

若い頃からマヌエル・モラオ 、 クリスティーナ・オヨス、ロラ・フローレス などのカンパニーに加わり、そこでホセ・メルセー、トマティート、マヌエラ・カラスコ、カルメン・リナーレスといった、フラメンコ界をリードする天才的な歌手や踊り手たちと交流した。フラメンコの伝統に固執しながらも、現代的な革新を意識したそのバイラオールとしての表現力には若い頃から定評があった。

アントニオ・エル・ピパの「Gypsy Caravan」への参加要請の陰には、彼のこれまでのニューヨーク・シティ・センター、ワシントンのケネディ・センター、ロンドンのクイーン・エリザベス・ホールなど世界でも有数のホール、シアターで聴衆を沸かせてきたという実績があった。

2005年のマラガにおけるフラメンコ・フェスティバルで紹介された彼の新しいコンセプト・ショー"De Tablao"(タブラオ)は、フラメンコ文化を支えてきたこの民衆に愛されてきた"酒場"に再び人々の注目を向けさた。そこで歌い、踊ることこそが、大衆文化としてのフラメンコの基本であることをショーで示したかった、とエル・ピパは語る。そして"De Tablao"はニューヨーク、ロンドン、パリと巡り、その都度素晴らしいゲストを迎えて敢行された。ゲストにはファナ・ラ・デル・ピパ、 コンチャ・バルガス、マリアナ・コルネホといった錚々たる顔ぶれが名を連ねた。スペインの"ジプシー"たちがアンダルシアの文化との融合によって生み出した総合芸術であるフラメンコの現代の継承者、アントニオ・エル・ピパのGypsy Caravanへの参加は1つの事件だったのだ。

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アントニオ・エル・ピパ・フラメンコ・アンサンブル / ANTONIO EL PIPA FLAMENCO ENSEMBLE

ニコラエは天国で言っているだろう「私は世界中を旅した」ってね。

Carolina / TARAF DE HAÏDOUKS

ルーマニアの首都ブカレストの南20kmのところにあるジプシー・ミュージシャンの集落クレジャニ村出身のバンドで結成は1990年。
91年にデビューしていきなりイギリス、リバーミードで開かれたWOMADに出演し、一気にヨーロッパの音楽メディアの注目を集めた。世代を超えた音楽家族を中心にしたメンバー構成で、全員がクレジャニ村の同じ通り沿いに住んでいる。

トニー・ガトリフの映画「ラッチョ・ドロム」(‘92)への出演や99年のパリ・コレクションにヨージヤマモトのコレクションにも登場し、これまでに既に世界中の25カ国以上のステージに立ったジプシー音楽界きっての人気バンドである。

日本にも2000年の初来日以来、01, 03, 04, 05年と続けて来日し、全ての公演を大成功のうちに終えた。2002年にはBBCの“WorldMusic Award”を受賞、2007年には“ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)音楽祭にも出演、その豪快な演奏を披露した。

編成はツィンバロムを中心に、バイオリン3人、ネイ(笛)、アコーディオン2名、ダブルベースなどが加わる弦楽器編成でスピード感と叙情性を併せ持つ独特の演奏を聴かせる。曲によってはヴォーカルも加わり、ルーマニアのジプシー(ロマ)の心象風景を描いてみせる。

長くバンドの象徴であり、中心的存在でもあった最長老ニコラエ・ネアクシュの死亡によって、タラフの音楽は次の世代に受け継がれていこうとしている。2007年5月に発表された6年ぶりのアルバム「仮面舞踏会」は、タラフがはじめて西洋音楽の譜面と取り組んだ作品で、ハンガリーの生んだ偉大な作曲家にして、民族音楽研究者としても知られるバルト—ク・ベーラの楽曲を見事にカバーし、新境地を開拓している。9月にはくるり主宰の「京都音楽博覧会」への参加も決定している。もはやタラフ・ドゥ・ハイドゥークスは“ジプシー”という枠組みを超えて大衆性を獲得しようとしている。

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エスマ / ESMA

私の歌はロマそのものです。 ロマの悲しみや喜び、文化や伝統を表現しています。

Romano Horo / ESMA

バルカン最南端の国、マケドニアは旧ユーゴスラヴィアから1991年に独立したが、この国はジプシーの集住率の高い国としても知られている。その最大の集落シュト・オリザリ(首都スコピエから10km)の外れに生まれたエスマ・レジェポーヴァは“ジプシー・クイーン”と呼ばれるにふさわしい歌手である。

4才の頃から歌い始め、劇団やジプシー/ロマの結婚式などで歌ううち、マケドニア放送の番組にスカウトされた。そこでエスマはのちに彼女の夫ともなるマケドニア音楽界の巨匠であったステヴォ・テオドシエフスキーと出会う。

10代の後半だったエスマは、これをきっかけにテレビ出演や、ブルガリア、オーストリア、ドイツ、アメリカ、インドなどでの公演を経て世界的なジプシー・クイーンとしての評価を決定的なものとする。その40年あまりの活動期間に残したアルバムは数知れず、マケドニアのみならずヨーロッパでも数々の音楽賞を受賞した。またロマの孤児を自分の家に引き取って育て、50人近いミュージシャンも養成しており、その社会的な無私の行為も高く評価されてきた。2000年のアルバム「届かぬ思い」は、冒頭のアカペラでの繊細な表現から、後半のブラスバンドを率いての強烈なこぶしに至るまで近年のエスマの1つの頂点を極めたアルバムと言えるだろう。映画「Gypsy Caravan」の中でも、エスマの存在感は圧倒的で、異なる土地から集められ、当初いくらかの違和感を互いに抱いているメンバーを彼女がとりまとめている様子がよく描かれている。

エスマは2001年位来日し、その強靭で艶っぽいヴォーカルを日本の聴衆にも披露してくれた。2003年にマケドニアとドイツだけでリリースされたアルバム“Esma’s Dream”はマケドニア人で現在アメリア在住のプロデューサー、ドゥケ・ボヤジエフの手になる作品で、エレクトロな風合いに処理されエスマのこぶしが見事に現代的なサウンドとマッチした1枚である。待望久しい新作が待たれる。

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ファンファーラ・チョクルリーア / FANFARE CIOCARLIA

革命後、ツアーで世界を回るようになって“ロマは、みんな悪者だ”と思われてやしないか不安だったよ。拍手喝采でそんなことなかったけどね。

Asphalt Tango / FANFARE CIOCARLIA

ルーマニア北東部、旧ロシアのモルダヴィア共和国にもほど近いゼチェ・プラジニ村から飛び出した12人編成の超高速ブラスバンド。ファンファーラ・チョクルリーア。そのきらめくような金管の響きはまるで“ひばり”(チョクルリーア)のさえずりようだ。

デビュー・アルバム“ラジオ・パシュカニ”から2007年発表の最新作”Queens and Kings”に至るまで5枚のアルバムと1組のDVDをコンスタントにリリースしているが、年々超絶なスピード感に加えて厚みのあるアンサンブルや構成力が増し、そのサウンドにはますます磨きがかかってきた。

2005年のアルバム”Gili Garabdi”はこの年のヨーロッパのWorld Music Awardでグランプリを獲得した。ファンファーラ・チョクルリーア の世界的成功によって、今や世界がジプシー・ブラスの魅力をはっきり認識した。もともとトルコの軍楽隊の影響を受け、ヨーロッパの管楽器を独自のスタイルで取得した先代がこの地に数々の楽隊(ファンファーレ)を生み出したが、そのほとんどがジプシー/ロマのファミリーによって編成されるグループである。ファンファーラ・チョクルリーア は兄弟でサックスを吹くイヴァンチェア・ファミリーを中心に近所のラッパ吹きの中からメンバーが選ばれて行く様子は映画「地図にない村から」にも描かれていたが、仕事も収入もないこの地のロマたちにとってブラスバンドのメンバーになる事はあこがれ以外の何ものでもない。

2007年発表の新作“Queens and Kings”は、その多彩なゲストにも注目が集まった。ルーマニアのマネレ(ポップ歌謡)のスター、ダン・アルメアンカ、ハンガリーのディーヴァ、ミツウ、マケドニアのエスマ、ボスニアのリリアナ・ブトレル、セルビアの伝説の歌手シャバン・バイラモビッチと実に豪華だ。こうしたメンバーが集まってくるところにも現在のファンファーレ・チョカーリアのジプシー・ミュージック世界での立ち位置がよく現れている。大音量で聞けば、このアルバムが07年のベスト・アルバムの1枚だと言ったとしても誰からも反対されないに違いない。

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マハラジャ / MAHARAJA

音楽は神からの贈り物だ。 特にインドの旋法(ラーガ)は、何ものにも代え難い宝だね。

Roomal / Maharaja

“ジプシー”がインドからやってきた漂白の民であるという説を逆手に取ってインドからパリにまで進出して成功を収めたインドの砂漠民バンド、マハラジャ。

あいまいなジプシーの歴史についての記憶の狭間から登場するこのマハラジャや同系統のグループ、ムサフィールなどの存在も、今日的な意味でジプシーを考える上では重要であろう。

ラジャスターンの音楽芸能者で構成される彼らの演奏は、今日のインドの砂漠民の芸能の現実であり、過去から現代に伝承されてきたであろうかの地の暮らしに根ざした習俗でもある。

現在ではヨーロッパを経由して世界中の到るところに居住する“ジプシー”たちにとって、ラジャスターンは紛れもない精神的な原郷であり続けているのだ。マハラジャのメンバーはラジャスターンの砂漠民の中でも音楽を生業とするいくつかの部族のメンバーが集まって構成されている。それはランガ、マンガニヤール、カルベリーヤだ。ランガには“魂の癒し”の意味があり、詩人や歌手の多いグループだが、この部族からはウスタッド・ムラド・カーン、ウスタッド・ヌウーレ・カーン、ウスタッド・バルカット・カーンがサーランギとヴォーカルで参加している。

マンガニヤールには“物乞いする人々”の意味がある。ドーラクのゲワル・カーン、ハルモニウムを担当するザカブ・カーンがこの部族出身である。またカルベリーヤからはダンサーのサヤリ・サペラとクイーン・ハリシュ・クマールが参加している。マハラジャを取り巻くインドの基本社会はヒンドゥのシステムであり、彼ら砂漠芸能民たちは最下層の不可触民たちである。一方マハラジャの音楽にはヒンドゥの影響と同程度にイスラムの概念、中でも神秘主義であるスーフィーの影響が強く感じられ、そのレパートリーにはスーフィーの語りの形式であるカーワッリーが含まれている。このバンドが本キャラバンに参加したという事実がまずは重要な意味を持っているであろう。




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サウンドトラック情報

「ジプシー・キャラバン」オリジナル・サウンドトラック。
映画の楽しさがそのまま伝わってくる素晴らしい内容のサントラ盤。

CD『ジプシー・キャラヴァン
発売日:2007.06.24
品番:HMR-730
定価:¥2,835(税込)
ライス・レコード

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ロマの歴史