聞こえてしもてる私には聞こえぬ音楽はきつかった。
が耳に聞こえん人には私とまたちゃうとこから音楽がきこえる。
けど遂にと言うか響くんや。心に!感情に!一緒やん。
綾戸智恵
ジャズシンガー
映画としては下手だ。だが、出演者の身体がすごい。音を体で、手で表現しているのではなく、動くことで音楽を発している。人の魂を、人の”体音”を伝えている。
荒木経惟 談
写真家
聾者たちの肉体の動きが、いわゆる肉体言語ではなく、手話などの共有化された「記号」による表現でも、何かしら文字に置き換えて意味を伝えるというものでもなく、完全にリズムやメロディといった音楽の抽象的な言語として表現されていることに驚きました。
そもそも芸術とは必然的に自然発生的に生まれてくるもので、その必然的な表現をそこに見ました。
この映画を通して、そもそも音楽とは何であるのか?障害や健常という単純な線引きではなく、音楽というものの本質、音楽の別の面が確かに実感できた、そんな経験でした。
ヴィヴィアン佐藤
非建築家・美術家
音楽ではないその音楽からメロディを見つけ、言葉ではない言葉からストーリーを紡ぐ、そんな人たちがいる。
見始めると、自分の中に蓄積された音や匂いや振動が、自動的に呼び起こされる。
これが、音が無い世界に居たからこそ生み出すことのできた作品なんだと気付くと、聞こえる聞こえないなんて関係の無い開かれた世界を感じた。
いや、音が無いというのは違う、これが音で、これが音楽なんだ。
そうまっすぐに突き刺さる作品です。
大今良時
漫画『聲の形』作者
感じる、それを過不足なくアウトプットする。その二点において普段の自分には何と妨げるものの多いことか。キャッチし形にする。そこに言葉は介在しない。風は風だから風なのではない。風という言葉を疑ってみたらいい。嬉しいという言葉を疑ってみたらいい。
見つめる目が強くて、やっぱりと思った。リズムと間と質感には情報が詰まっていた。音楽の核は、疑ってみると音ではないのかもしれない。
小野寺修二
演出家・カンパニーデラシネラ主宰
LISTENは音楽という既成概念を破壊するのか。それとも新たな境地を開くのか。内なる音楽を理解できない人には到底受け入れられない作品だろう。しかし聴く者から視る者への転換を迫られるこの作品は音楽を愛する人には必見だ。
木村晴美
NHK手話ニュース845キャスター
ハッとして、深く見入って、やがて音楽が見えてくる。こんな経験は、初めてなのだ。
波で洗われて、角が削られ、丸みをおびた貝のような柔らかな動き、風に揺れるようなリズム、これは間違いなく、からだから発せられたステキな音楽! そして、さらには皆さんの新しいものを奏でる勇気に、僕もふわりと踊りたくなった。
近藤良平
ダンサー・振付師・コンドルズ主宰
言葉では伝わらないけれど、ミラーニューロンで体感できるものはとても多い。「音楽」は「音」が終わった時にこそ始まると実感することも多い。聾者との共同作業で宝のような「発見」を毎回させてもらっています。
齋藤徹
コントラバス演奏者・作曲者
「音楽」を「音」から解き放つこと。
「リッスン」を「サウンド」から飛翔させること。
この映画は、たまたま耳が聞こえてしまう私たちには容易に気づくことの出来ない「音楽」という営みの豊かさと秘密を教えてくれる。
オーディブル(=聴取可能)な範囲よりも、ミュージックはずっとはるかに広いのだ。
佐々木敦
批評家
音楽はみんなのもの。
人が音楽を欲した時、
音楽はいつもあなたのそばにあります。
こう、私は思います。
そして、
音楽にもっと自由を。
と、願います。
「LISTEN」は、音楽を自由に謳歌する素敵な作品です。
ぜひ、ひとりでも多くの方にご覧いただきたく思います。
佐藤慶子
五感の音楽・作曲家
聞こえない音楽を見た。
なぜダンスは音楽と親密なのか分ったような気がした。
20年ほど前にある仕事で、この映画の出演者でもある、
ろう劇団の演出家の米内山明宏さんに取材をしたことがある。
筆談で、「あなたにとって音とは何か」と聞いたところ、
「心臓の鼓動だ」と彼は答えた。
それは、ろうである無しに関わらず、誰しも同じことだろう。
胎内に宿った命は、耳ができる前からそれを感じているだろうから。
七里圭
映画監督・脚本家
衝動が動きとなり、動きは共鳴し、感情が生まれ、人はそれを共に楽しむことができる。すてきだ。無音だから、わかることがある。人間は波動で共鳴しあうってこと。なんて不思議。体験してみてください。きっと新しい発見があるから。  
田口ランディ
小説家
当然の事だが、この映画に音はない。従って肉体の動きで表現する聾者の音楽を、健常者は想像力で聞くことになる。ジャズ、現代音楽、演歌、様々な音楽が脳の中に聞こえて来る。その中に聞いた事のない音楽を感じる肉体表現があった。それは米内山氏の手話ポエム。手話とマイムの混じったパフォーマンスとでも言えばいいのか、米内山氏の手話ポエムには、聾者・健常者を超えた音楽がある。
喰始
演出家
音楽とは、音のことじゃなくて、グルーヴのことだったのだ。
そしてグルーヴは、にんげんのことだ。
耳栓をしてはじめて聴こえた。
わたしたちは、音楽だ。 
藤岡みなみ
タレント・ミュージシャン
ろう者は、長年「音楽」に抑圧され、遠ざけられもした。この映画は、ろう者の手と身体に「音楽」を取り戻し、人間としての回復をめざした映像的抒情詩である。教育に関わる者は、ろうの演者の生きる姿に「歌う手」と「踊る身体」の存在価値を見出し、ろう児にとっての「音楽」と「教育」とは何か再考を迫られるだろう。
松﨑 丈
宮城教育大学 准教授[博士・教育学]
映画を観ている最中、何度も勝手に手が動いた。
手話がちゃんとできるわけではないのに、例えば複数人によるセッションが始まると、体の奥から湧いてくるリズムに自然に体が反応する。
知らない曲を初めて聴いた時、頭の中で何度もメロディがリフレインするあの感覚と同じ……これはまさしく「視る音楽映画」。初めての体験でした!
丸山正樹
小説『デフ・ヴォイス』著者
耳を塞いでこの無音の映画に目を凝らしたが、いつの間にか耳を澄ましていた。
自分の呼吸の音、トクトクと流れる血液の音が、聾者の踊りと重なる。
音楽と踊りは一つのもの。踊りは音楽であるし、音楽は踊りであることを再認識させてくれるようだった。
音のない世界での聾者の踊り、その軌跡から豊かな音楽が聴こえてくる。
森山開次
ダンサー・振付家
私たち「聴覚をもつ者」は、どれだけ音に支配されているのか。「音楽」はいつから音中心になったのか。歌もダンスも、音に支配されっぱなしだ。
 音に頼らなくても、自ずと動く身体、相手に動きを引き出される身体がある。「聴覚がない」ことは何の妨げにもならない。むしろ「聴覚がある」人の方が、狭い範囲内でしか「音楽」を楽しめなくなっているのではないか。本作品を見て、現代日本を生きる私たちが気軽に踊り出せないのは、もしかすると音に頼りすぎてきたからかもしれないと改めて思った。
 本作品は日々の生活の中で眠ることを強いられ無視されるようになった私たちのすべての感覚を呼び覚ましてくれる。フツウのストーリー展開があるものだという前提で見てはならない。鈍くなってしまったすべての感覚を研ぎ澄ませ、本作品を“感知(sense)”せよ!
LISTEN...それは「聴く」という営みに限定されはしないだろう。
吉田優貴
文化人類学徒