『核の傷:肥田舜太郎医師と内部被曝』(同時上映『311以降を生きる:肥田舜太郎医師講演より』)

上映終了

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日時
上映終了
料金
当日一般¥1,500/学生¥1,300(平日学割¥1,000)/シニア¥1,000/UPLINK会員¥1,000

自身の被曝体験を原点に、戦後67年間、
被曝者治療と核廃絶運動に献身し、内部被曝の実態を訴え続ける
現在95歳の肥田舜太郎医師の歩みを追ったドキュメンタリー作品


『核の傷:肥田舜太郎医師と内部被曝』公式サイト
http://www.uplink.co.jp/kakunokizu/

1945年8月6日、当時28歳の肥田医師は、軍医少佐として広島陸軍病院に赴任していた際に被曝。直後から被曝者の治療にあたることになったが、原爆の衝撃波や熱線を直接受けていない人々も原因不明の症状を発症し、次々と死んでいくのを目の当たりにする。その原因について肥田医師がある程度理解できるようになったのは、戦後30年余りも経った1970年代になってからだった。

背景には、米国が放射線の人体への影響を隠匿し続けてきたという事実がある。米国は、被曝者への放射線の影響について調査するため、1947年に原爆障害調査委員会(ABCC)を設立した。広島と長崎のABCCで、1947~50年に延べ12万人の被爆者からデータが収集され、分析結果は、日本では一切公開されないまま、すべて米国の管理下に置かれた。当時、原発建設の推進と、冷戦下の核兵器配備を強化していた米国にとって、低レベル放射線や体内被曝の影響を公表されることは望ましくなかったのである。

また日本政府も、アーネスト・スターングラス博士らが提唱する内部被曝の科学的根拠を明確ではないとして、肥田医師や日本原水爆被害者団体協議会が求めていた被曝者認定の範囲を限定する立場を長年にわたって取り続けてきた。
広島・長崎の被曝者たちに日米両政府が強いてきた苦悩を、2006年にフランス人映像監督が描いた本作は、福島原発事故後の日本で何がなされるべきか、その一端をわれわれに示唆するものである。




『核の傷:肥田舜太郎医師と内部被曝』(フランス/2006年/日本語・英語/53分)
監督・脚本・撮影・録音:マーク・プティジャン
助監督・編集:瀬戸桃子
製作:オンライン・プロダクションズ
日本版ナレーション:染谷将太


同時上映作品
『311以降を生きる:肥田舜太郎医師講演より』(日本/2012年/約27分/アップリンク製作)
福島原発事故から1年、放射性物質は列島の隅々まで飛散し、すでに安全な場所はない日本でどう生き抜くかを説く肥田医師の講演のエッセンスを記録。


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