ツール・ド・フランスの見方

ツール・ド・フランスとは

自転車ロードレースの最高峰。毎年7月に開催され、フランス国内及び周辺国を含む、約3500km高低差約2000mを超えるコースを3週間以上にわたって走り抜くステージレースで、その規模と参加選手のレベルの高さから世界最大の自転車レースと言われている。

最初のステージではプロローグと呼ばれる短い個人タイム・トライアル(1kmから15km)が行われる。 その後、200km程度の平地のステージを中心に、ピレネー山脈やアルプス山脈を越える山岳ステージ、個人タイム・トライアル、チーム・タイム・トライアル等、多彩なステージが設定されている。 伝統的に最終ステージのゴールはパリのシャンゼリゼである。通常の平地のステージではスプリンター(短距離に強い選手)がステージ優勝する場合が多いが、総合優勝を狙うには山岳ステージとタイム・トライアルで好成績をあげる必要がある。*なお、2006年度はチーム・タイム・トライアルがない。

大規模なレースを支えるため、オートバイや乗用車等のサービスカーが、情報・食料・飲料水を供給し、メカニックも呼ぶ事が出来るようになっている。チーム専属の車両の他、参加レーサーの為に中立の立場にある車両も競技に伴走している。プロレースであるため、交通規制や極端な不正行為(ドーピングレベルでなく禁制薬物使用など)取締りにはGN(国家憲兵隊)が関わる。

ツールの歴史

ツール・ド・フランスは、スポーツ新聞社ロト(L'Auto、現在の「レキップ紙」)の宣伝の為に、編集長アンリ・デグランジュが企画したもので、自転車レースを企画するライバル2紙、ル・プティ・ジャーナル (Le Petit Journal) によるパリ−ブレスト往復 (PBP 現在のブルベ) 、並びに、ヴェロ紙 (L'Velo) がスポンサーとなるボルドー−パリ間レースに対抗するものであった。第1回大会は1903年に行われた。1ステージ平均400kmを走るという過酷なレースで、ほとんど休みの無い耐久戦であった。ライダーは道路脇で眠り、他者の協力を得る事は禁止されていた。第2回大会では、数人の選手が途中列車に乗った為に失格になったというエピソードも。山岳ステージは第3回大会から導入されている。当時はまだ変速機が無く、登山用ギアは後輪の反対側に取り付けられていた。このため、上り坂のたびに後輪を前後反対に付け直さねばならなかった。

今年、ツールは103周年を迎えるが、第一次、第二次世界大戦中は中断されたため、93回目の開催となる。

各賞とリーダージャージ

ステージ優勝

全21ステージステージ中タイム・トライアルを除く 18ステージでは、先頭でゴールラインを通過した選手がステージ優勝を手にする。タイム・トライアルでは最も速い ゴールタイムを出した選手、チームが優勝。

チーム総合優勝

各チーム上位3人のタイムを総計し最も速かったチームが、 最優秀チームとして最終ステージ後に表彰される。

マイヨ・ジョーヌ‥総合首位

各ステージ終了後、ツール初日から当日までの総合タイムトップの選手が、総合首位として毎日表彰を受ける。 また全21ステージを通しての総計首位選手がツール・ド・フランス総合優勝に輝く。そしてこの総合リーダーに授与されるのが黄色いジャージ、“マイヨ・ ジョーヌ”である。集団の中で果たして誰がリーダーなのか観衆が一目で分かるように、という配慮のもとマイヨ・ジョーヌが誕生したのは、1919年の第11ステージスタート時。黄色が選ばれたのは、当時のツール主催元「ロト紙」の新聞紙の色が黄色だったため。現在のジャージスポンサーはフランス銀行のクレディ・リヨネ。もちろん銀行のイメージカラーも黄色、 マスコットは黄色のライオンである。ちなみにジャージ両肩に描かれた「H D」の文字は、ツール創始者 アンリ・デグランジュ(Henri Desgrange)のイニシャルである。

マイヨ・ヴェール‥スプリント賞

キング・オブ・スプリンターを決める賞。各ステージ途中に設けられた中間スプリントポイントとゴールポイントを最も多く 獲得した選手に与えられる。そしてこのポイント賞リーダーに授与されるのが“マイヨ・ヴェール”(緑ジャージ)である。このジャージが作られたのは、ツール生誕50周年の1953年。園芸用品メーカー のベル・ジャルディニエールがスポンサーについたため、緑色のジャージが採用された。 現在のスポンサーは場外馬券場販売協会のPMU(ペエムユ)。

マイヨ・ア・ポワ・ルージュ‥山岳賞

山岳王を決定する賞。各峠の頂上に設定された山岳ポイントの合計で争われる。 山岳ポイントのカテゴリーはポイントの多いほうから超級、1級、2級、3級、4級と5段階。 また各ステージ最後の峠が1級、2級、超級の場合は、最終峠ポイントは2倍となる。 そしてこの山岳賞リーダーに授与されるのが“マイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュ”(白地に赤玉ジャージ)だ。山岳賞自体は1933年から存在していたが、お馴染みのかわいいジャージが誕生したのは1975年。 当時のスポンサーであった製菓会社ショコラ・プーランが、自社のキャンディパッケージをモデルにこのジャージのデザインを考案した。 現在のスポンサーはスーパーマーケットチェーンの「シャンピオン」

マイヨ・ブラン‥新人賞

80年1月1日以降に生まれた25歳以下の選手の中から個人総合タイムがトップの選手に与えられる。 制限年齢以下なら何度でも受賞できるため、「新人賞」というよりは「最優秀若手賞」の意味合いが強い。 そしてそしてこの新人賞リーダーに授与されるのが白ジャージ、マイヨ・ブランだ。新人賞が誕生したのは1975年。色の由来は「汚れない若さの色」という説と、「色とりどりのチームジャージが氾濫する中、あえて無色」という説がある。現在のスポンサーはチェコ自動車メーカーの「スコーダ」

ドサール・ルージュ‥敢闘賞

タイム・トライアルを除く各ステージで、成績に関係なく最も勇敢な走りを見せた選手に与えられる。 闘志、毅然さ、努力を惜しまない姿勢、勇気、醸し出すオーラ、チーム精神という6つの審査基準を元に、 大会関係者、ジャーナリスト、元選手で構成される8人の審判団が投票と話し合いで決定する。 他の賞と違ってポイント総計制・タイム制ではなく、各ステージごとに新たな受賞者が誕生する仕組み。 そしてこの敢闘賞受賞者に授与されるのが“ドサール・ルージュ”(赤ゼッケン)である。また最終日前日には審判団が、ツール全期間を通して最も奮闘した選手を決定。 スーパー敢闘賞としてシャンゼリゼで表彰を受ける。敢闘賞が誕生したのは1952年、スーパー敢闘賞が誕生したのは2003年。

その他、こんなルールも‥

ヘルメット着用義務

以前は山頂ゴールの場合、ヘルメットを脱ぐことが許されていた。ただし今年はUCIルールの変更により、 いかなるステージにおいてももスタートからゴールまでヘルメット着用が義務付けられている。

ラスト3kmの落車

ゴール前3km以内で落車の犠牲となった選手は、落車の時点で属していた集団と同ゴールタイムが与えられる。

ゴール制限時間

ツールでは、のんびりマイペースに完走を目指すことは許されていない。 首位のゴールタイムと時速、そしてコース難易度により、各ステージ終了時点毎にその日の制限時間が計算される。 制限時間を超過してのゴールは、基本的に失格。ただし集団落車の有無、超過人数、超過タイムと選手、ステージの関係などにより、 レースコミッショナーが特例を認めて失格を取り消す場合もある。