この映画について:ジャン・ポール・ジョー監督インタビュー

── 『未来の食卓』製作のきっかけは?

2004年、私は結腸癌に侵されました。癌は今日のフランスにおける死因の一位です。私の場合、その癌は外科手術によって摘出され、今では完治しています。

しかし完全に治るということがあるのでしょうか?私は自分の病気の原因を追究しようと考えました。そして、多くの事実を知るにつれて、これを作品にし、多くの人々に知ってもらうことが自分の職業の使命だと思いました。死を覚悟するような深刻な状況で「生」について考えたとき、私の生命だけでなく全ての生き物、植物、動物、昆虫を含めた環境のことを真剣に捉えるようになりました。そして、私はドキュメンタリーの映画作家として環境保護のために生涯を捧げようと思いました。

── 撮影にはどれくらいかかりましたか?

私はパリに住んでいて、南フランスに位置するバルジャック村には2006年9月の新学期から2007年の夏休み前まで通いました。1回の撮影で2~3日滞在し、合計で40日間を村で過ごしました。

── 給食のオーガニック化をテーマに選んだのはどうしてですか?

学校給食というキーワードは初めから念頭にありました。毎日給食を食べる子供達の姿を記録したかったのです。そして、06年の3月、市民団体アン・プリュス・ビオのステファニー・ヴァイラ氏からガール県にあるバルジャック村を紹介してもらいました。バルジャックはまさにその時期、給食のオーガニック化を進めており、村の外観は一見美しいのですが、実は土や水は汚染されていて、そこに住む人々が苦しんでいる。その事実とのギャップが私のイメージとぴったりでした。


── 子供たちが給食や校庭の畑での野菜栽培を通して変化していき、子供から影響されて保護者の意識が高まっていく姿がありますが、監督は予想していましたか?

親がこどもから影響を受ける事は、食に関わらず多いと思います。親はこどもを愛していますから、子供の要望には応えたいと考えるのが普通です。9~10歳の子供たちは色々なしがらみに捉われてなく、自分の感じたことを率直に信じることができる。だから、世の中を変えていく強さを一番持っていると思います。

── 農業にはもともと関心はあったのですか?

小さい頃、田舎の祖父の家でバカンスを過ごしました。その時、農業や、生態系のこと自然の素晴らしさ、大切さを知りました。

── フランスでは上映後どんな反応がありましたか?

上映後にディスカッションを行い、中には市議会委員がいて地方で環境問題についての議案を提出したいと言ってくれたし、母親たちにも現在起こっていることがよく分かってもらえたし、自分でも何かアクションを起こしたいと言ってくれました。非常に手ごたえを感じています。現在ジャーナリストとして活躍しているマザリーヌ・パンジュさん(ミテラン大統領の娘)は、この作品にすごく感動して、見た後すぐにオーガニック食品のお店に直行したというエピソードもあります。実際パリ2区でもオーガニックのキャンペーンが始まっています。バルジャックの人達は、この映画を誇りに思っています。全国から共感の声が届けられ、バルジャックの村役場では、映画担当者を置かなければならないくらいの反響がありました。

── この映画をどんな人に見てもらいたいですか?

環境問題を考えたとき、世界を変えていくには、子供達とそして、母親の役割が大きいと思います。母親というのは人生を守る人だと考えています。父親はそれを助ける人で、実際生活を作るのは母親です。そして、この作品を作るにあたって、私は最後に必ず希望を残したかった。今、すぐに行動すれば希望は失われないという希望です。
ロシアの文豪、ドストエフスキーは[美こそ世界を救う]という言葉を残しています。この作品は、自然の美しさへのオマージュでもあります。美しさを守る事こそ、子供達の未来を守ることだと私は信じています。