映画『マイク・ミルズのうつの話』

監督について

マイク・ミルズ監督

たとえ薬を飲んでカウンセリングに通っていても、1日はまだ23時間ある。 彼らの日常をありのまま切り取る事で、 鬱で苦しむ人たちが、今現在も働いてるし、生きてるし、 モンスターなんかじゃないんだ、ということを伝えたかった。

─初の長編ドキュメンタリー作品ですが、なぜ“うつ”をテーマにされたのでしょうか?

MIKE あるとき、日本で友人とコーヒーを飲んでいたら、彼女が錠剤を取り出して飲みはじめたんです。それで僕はテーブルの上に転がっている薬を見ながら、“薬というのは、アメリカ的な考え方なんじゃないかと”気づいたんです。この小さなカプセルの中に、化学という考え方の全てが入ってる。それはアメリカ一色の世界です。日本人や日本の文化というのは、すごく均質的で、独自の歴史を築いてきました。だから、僕には、その光景が新しいグローバリゼーションに見えたんです。健康やメンタルヘルスに関する考え、ハッピーでいなきゃいけないという考え、そういう幸せに固執する脅迫観念はアメリカ特有です。ハッピーじゃないとダメだと、いう考え方を輸出することで、私たちアメリカ人はビジネスをするわけです。だから、このプロジェクトをはじめるにあたって、グローバリゼーションというものが、まず頭の中にありました。 そして、“うつ”をネットで調べた時、製薬会社が日本にも広告キャンペーンを展開しているという事実を見つけたんです。実際、映画に出ている女性たちは、2人とも製薬会社が運営しているサイトで“うつ”の自己診断をし、そのサイトで病院を見つけ、その製薬会社の薬を処方されました。ちょっとびっくりしますよね。 こうやって、“うつ”と、アメリカ的な考え方が日本の文化にうまく溶け込んでいくんです。

─アメリカ人の監督が日本でうつの人たちにカメラを向けるのは、簡単な作業ではないと思います。この映画を制作するにあたって、彼らとの関係性はどう築いていったのですか?

MIKE はじめ、日本人のプロデューサーが、うつ関係のチャットルームにこのプロジェクトの案内を送ってくれたんです。ネットで、うつはとても大きい存在です。だから、予想以上に大きな反響があって、かなりの数の人から応募がありました。僕は、日本人は自分の悲しみについてなかなか話さないだろうなと思ってました。ところが、今回参加してくれた人たちは、使命みたいなものがあった。彼らは日本の社会の中で誤解され、この世に存在しないものとして社会から閉め出されている。自分たちは何も恐ろしい人間なんかではなく、ただ深刻な問題を抱えてるだけなんだってことを証明しに来たかった。中には、何年も家から出たことがない人でさえ、わざわざ渋谷までインタビューのために来てくれた。何か義務感みたいなものがあったんです。だから、スタート段階から、たくさん話を聞くことができ、そこから今回のプロジェクトに合う人を選んで、まずは顔合わせのために、カメラを持って彼らの家に赴きました。みんな信頼してくれていたし、僕のやりたいことをきちんと理解してくれていました。

マイク・ミルズ監督

─映画の中の人たちは、うつから抜けるために、何かルーティンを作ろうとたり、何かを創造しようとしてます。全員というわけではないですが、例えばサボテンを育てていた人のように……。
クリエーションは、うつの治療の役に立つと思いますか? 

MIKE そう。小さなものをつくることに、喜びを見出すんです。おそらくこれは、僕の考えが彼らに投影されているんだと思います。僕も小さなものをつくるから、そういうことをする彼らの気持ちがよくわかるんです。彼らは自分自身をいろいろなやり方で治療しようとします。たとえ薬を飲んでカウンセリングに通っていても、1日はまだ23時間ありますからね。“うつ”の苦しみから少しでも良くなろうします。痛みをやわらげるために、彼らは何をするのだろうということに関心があったし、彼らは非常にクリエイティブです。みんな優しいし、愛しい人たちですよ。

─広告に使われた「あなたは心の風邪をひいていませんか?」というフレーズについてどう思いますか?

MIKE 製薬会社の広告としては、理想的ないいコピーですが、本当のことを言い表してません。ちょっと変です。でも、映画の中でこのフレーズについて聞いてみたのですが、みんな素晴らしいと言います。テレビの中に“うつ”の広告があること自体が、素晴らしいことなんです。今までけっしてメインストリームで話題にならなかったものが、テレビに出ている。それが社会的に重要なことでした。 僕は日本の歴史研究家ではありませんが、日本では昔から、精神病は恐れられ、タブーだったと聞きました。精神に問題があれば、自宅に監禁されて、家族に よって永遠に閉じ込められると。これは、何も大昔の話じゃなくて、親の世代ぐらいまでが経験していることなんです。だから、その考え方は今も日本には残ってると思います。自分の気持ちを伝えようとするよりも、“そんなものは見せないでくれ“という社会なんです。日本社会の大部分が、私は”あなたの気持ちなんか見たくない“と言っているのです。“うつ”を隠そうとする事を阻止できる。そういう意味で、この広告には意味がありましたね。

─私たちは、ただ窓から5人の生活を覗いてるみたいです。どうして、映画の中にあなたの意見や考えがないのでしょう?

MIKE 『スーパーサイズ・ミー』とか、マイケル・ムーア作品みたいなドキュメンタリーは、映画の中に膨大な情報があって、彼らの主張なり考えを植え付けようとします。視覚的な表現と言うよりも、情報の羅列でありメッセージなんです。僕のやり方は違って、自分の考え挟み込んだり、メッセージを伝えることに興味はなかった。そのままの形で見せたかったんです。そして、映画を見た人それぞれが意味を見つけてほしかった。例えば、ジャパンタイムスやニューヨークタイムスの中で、うつの長い記事を読むとするでしょ。すると、そこにはいくつかの事実と、関係者の話、専門家がほとんどで、うつ病患者のコメントはたったひとつだけ。5パーセントのうつ患者と95パーセントの専門家で語られる。僕は、実際にうつを経験した人たちだけで作品を作りたかった。医者や役人も出てこない。非常に主観的でかなり個人的な視点です。まあ、こういうのが観客をイライラさせるんだと思いますが(笑)。

─うつ病患者の急増する日本で、この映画が公開されることに、どんな期待をしていますか?

MIKE 僕の目標は、より多面的でよりリアルな描写を通して、正しい認識と“うつ”は現実だという理解を深めてもらう事です。映画に出て来る人たちは、けっして弱いわけではないし、怠け者でも被害者でもない。彼らは、改善しようと奮闘しているんです。例えばケンのあの変わったやり方であっても、彼らはみんな快方に向かおうとしているんです。僕がどうにかして力になりたいと思うのは、そこです。アメリカでは頻繁にカウンセリングをして、うつについてもとことん話しますが、うつをじっくり見つめるとか、うつの人の気持ちになろうということがほとんどありません。日本の観客にも、アメリカの観客と同じことを期待していますが、さらに付け加えるとしたら、日本でうつはタブーですね。未だに、陰に押しやられた存在だと思います。しかし、うつで苦しむ人たちは今現在も働いてるし、生きてるし、何もモンスターなんかじゃない。そのことを、人々に知ってもらう必要はあると思います。

(2010年TOO MUCH Magazine Issue 1 掲載 オードリー・フォンドゥカヴによるマイク・ミルズのインタビューより抜粋)

《監督》 マイク・ミルズ
1966年生まれ。カリフォルニア州サンタ・バーバラ出身。高校を卒業後、ニューヨークのアート・スクールへ入り、次第にグラフィック・アーティストとして頭角を現す。X-GirlやMarcJacobsなどにロゴやデザインを提供。また、ソニック・ユースやビースティー・ボーイズ、チボ・マットなどのアルバム・デザインやミュージック・ビデオを制作し、90年代のNYグラフィック・シーンの中心人物となる。やがて、ジム・ジャームッシュの影響を受け、映画を撮り始める。90年代末、友人であったスパイク・ジョーンズとソフィア・コッポラの紹介で、ローマン・コッポラとディレクターズ・ビューロー社を設立。ナイキやアディダスなどのCMや、エール、モービーといったミュージシャンを題材にしたドキュメンタリーを手がけながら、長編映画監督デビュー作「サムサッカー」(05)を発表、サンダンス映画祭で評価され映画監督としても注目を集める。長編2作目となる「人生はビギナーズ」(10)では、自身の父親との関係を題材にオリジナルの脚本を執筆し、インディペンデント・スピリット・アワードの監督賞と脚本賞にノミネートされ、ゴッサム・アワードの作品賞を受賞した。「社会のアウトサイダー」が、彼の一貫したテーマである。


《ライン・プロデューサー》 カラム・グリーン
英国スコットランド出身。ニューヨークを拠点に、数々のインディペンデント映画の制作に参加。「スリーピー・ヘッズ」(監督:細谷佳史)、「アートフル・ドヂャース」(監督:保田卓夫)といった日本人監督作品にも参加する。ソフィア・コッポラ監督作品「ロスト・イン・トランスレーション」にはライン・プロデューサーとして参加、日本ロケに帯同する。マイク・ミルズ監督の「Thumbsucker」にもライン・プロデューサーとして参加した後、ソフィア・コッポラ監督の『マリー・アントワネット』には共同プロデューサーとして名を連ねている。


《日本プロデューサー》 保田卓夫
東京生まれ。ニューヨーク大学で映画製作を学び、卒業後はニューヨークを拠点にNHKのドキュメンタリー番組などに多数参加。ニューヨーク在住中の1998年に長編劇映画「アートフル・ドヂャース」(出演:いしだ壱成、西島秀俊他)を発表。2001年に帰国後は、MTV Japanでプロデューサーを務める。2003年末にMTV Japanを退社し、制作プロダクション・IncredibleQuacksを設立。2004年にはエリック・クラプトンを追ったドキュメンタリー「セッションズ・フォー・ロバート・J」にライン・プロデューサーとして参加。2005年にはTVドキュメンタリー「MTVBiography: Jim Jarmusch」を演出、劇映画「TKO HIPHOP」(監督:谷口則之、出演:山根和馬、武田航平他)をプロデュース、ハリウッド映画「GOAL!2」に助監督として参加するなど、多方面で活躍している。

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