ボビー・ダーリン

ケヴィン・スペイシー主演の映画『ビヨンドtheシー』でも知名度を広げたのが、アトランティック・レコード初の白人アーティストとして大活躍したボビー・ダーリンだ。心臓病のために15歳までしか生きられないと宣言されながら、好きな音楽の道を進み「マック・ザ・ナイフ」を始めとした多くのヒットを飛ばす。その後テレビ番組のホスト、映画出演など活動を広げていくが1973年心臓手術後に亡くなってしまう。

アーメット・アーティガン

1923年トルコに生まれたアーメットはトルコ大使であった父親に付いてヨーロッパやアメリカで成長するにつれキャブ・キャロウェイやデューク・エリントンといった黒人音楽に夢中になる。1944年に父親が亡くなり帰国の予定だったがアメリカに残りアトランティック・レコードを設立。ルース・ブラウンの成功によって軌道に乗り、さらにレイ・チャールズの大ヒットで大手となる。70年代にはレッド・ツェッペリンと契約するなどロック界でも影響力を強めた。

アレサ・フランクリン

著名な牧師を父に1942年テネシーで生まれたアレサ・フランクリンは当然のように教会で音楽に親しみ、早くからその才能を認められ十代でデビューを飾る。しかしその真の実力を発揮した作品を発表するようになるのはアトランティック・レコードと契約した67年以後のこと。マッスル・ショールズのミュージシャンらをバックにした濃密なサウンドと彼女のパワフルな歌声が融合した音は次々とヒットとなり、“レディ・ソウル”という称号が彼女に与えられた。

ベン・E ・キング

誰もが知っている「スタンド・バイ・ミー」のオリジネイターがベン・E・キングだ。1938年にニューヨーク州で生まれ、名門コーラス・グループ、ドリフターズのメンバーとして活躍し、その後独立して61年に「スタンド・バイ・ミー」の大ヒットを飛ばす。その後もソフトなものからサザン・ソウル的なニュアンスを持ったディープなものまで幅広い歌唱でソウルの世界を広げていった。大ヒット曲のイメージばかりが強いのは残念。