夢のアンデス夢のアンデス
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2019年カンヌ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞、インディペンデント批評家賞W受賞作品

夢のアンデス

南米ドキュメンタリーの巨匠パトリシオ・グスマン監督作品『光のノスタルジア』『真珠のボタン』に続く、チリ弾圧の歴史を描いた3部作最終章。
2021年10月9日(土)より岩波ホールほか全国順次公開
監督・脚本:パトリシオ・グスマン/
撮影:サミュエル・ラフ/編集:エマニュエル・ジョリー、パブロ・サラス/
録音:アルバロ・シルヴァ・ウス、アイメリク・デュパス、クレア・カフ/
音楽:ミランダ・イ・トバー/
出演:フランシスコ・ガシトゥア、ビセンテ・ガハルド、
パブロ・サラス、ホルヘ・バラディットほか
(チリ、フランス/2019年/85分/16:9/スペイン語/
原題:The Cordillera of dreams)
日本語字幕:原田りえ 配給・宣伝:アップリンク
INTRODUCTIONINTRODUCTION
INTRODUCTIONINTRODUCTION

この映画について
INTRODUCTION

絶望をこえ、過去と未来を見据え、
どう生きるべきか、
私たちの「今」を問う。
世界最長の山脈、アンデス。チリの国境に沿って大きな壁のごとくそびえる不変の山々は、その足元で繰り広げられる生と死を、ただ静かに見つめ続けている。

1973年9月11日、チリ・軍事クーデター。世界で初めて選挙によって選出されたサルバドール・アジェンデの社会主義政権を、米国CIAの支援のもと、アウグスト・ピノチェトの指揮する軍部が武力で覆した。ピノチェト政権は左派をねこそぎ投獄し、3000人を超える市民が虐殺された。
監督のパトリシオ・グスマンはアジェンデ政権とその崩壊に関するドキュメンタリー『チリの闘い』撮影後、政治犯として連行されるも、釈放。フィルムを守るため、パリに亡命した。「2度と祖国で暮らすことはない」と話すグスマンにとってアンデス山脈とは、永遠に失われた輝かしいチリ=グスマンの夢の象徴である。

いまなお続く、ピノチェトの遺産
新自由主義の実験の場となった
クーデター後のチリ

クーデターがもたらしたものはそれだけではない。ピノチェトは世界で初めて、新自由主義に基づく経済の自由化を推し進めた。米経済学者のミルトン・フリードマンを中心に形成されたシカゴ学派の学者たち――いわゆる「シカゴボーイズ」が招かれ、経済政策の顧問団を形成した。新自由主義は、芸術、文化、健康、教育すべてにおいて利益を追求すべきという利益最優先の価値観を人々にもたらした。結果、チリ社会は国民の間に激しい格差を生み、主要産業である銅の採掘は今やほとんどを多国籍企業が担っている。ピノチェト政権は国の財産を売り渡したのだ。

  • 映画『夢のアンデス』
  • 映画『夢のアンデス』
『光のノスタルジア』『真珠のボタン』に続き、
チリの歴史的記憶、政治的トラウマ、地理の関係を探る三部作最終章。

インタビューに登場するのは、アンデスの原材料を使って作品を制作する彫刻家のビセンテ・ガハルドとフランシスコ・ガシトゥア。歴史や小説の作家であるホルヘ・バラディッドは、現代のチリの社会・経済構造におけるピノチェトのプロジェクトの継続について語り、音楽家のハビエラ・パラは、子供の頃に目撃した暴力を思い出す。1980年代以降、政治的抵抗や国家による暴力行為を記録するために活動してきた映像作家であり、アーキビストでもあるパブロ・サラスはこう語る。「記録し、どんな時代だったのか次の世代に伝えたい。二度と過ちを繰り返さないために」

  • セザール賞最優秀ドキュメンタリー賞ノミネート
  • トロント国際映画祭正式出品
  • サン・セバスティアン国際映画祭正式出品
  • サンフランシスコ国際映画祭正式出品
  • ロンドン国際映画祭正式出品
  • シカゴ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞ノミネート
  • ニューヨーク・ドキュメンタリー映画祭正式出品
  • カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭正式出品
  • メルボルン国際映画祭正式出品
  • ミュンヘン国際映画祭正式出品
  • LASA映画祭特別功労賞受賞
  • アムステルダムドキュメンタリー国際映画祭正式出品
  • 釜山国際映画祭正式出品
  • 映画『夢のアンデス』
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監督
DIRECTOR

監督

パトリシオ・グスマン

パトリシオ・グスマンは1941年にチリのサンティアゴで生まれました。マドリードの国立映画学校で学び、ドキュメンタリー映画に自らの人生を捧げてきました。彼の映画は多くの映画祭で上映され、国際的にも高い評価を得ています。1972年から79年にかけては、サルバドール・アジェンデ政権とその崩壊に関する5時間の3部作『チリの闘い』を監督しました。この映画は彼の仕事の土台となりました。北米の雑誌シネアストは“世界で最も優れた10本の政治映画の1本”にこの作品を挙げています。

ピノチェトのクーデター後、グスマンは逮捕され、国立競技場に2週間監禁されました。そこで彼は模擬処刑を受け、幾度となく脅迫されました。1973年に彼はチリを離れ、キューバ、スペイン、フランスに移住しましたが、心は自分の祖国とその歴史を強く引きずったままでした。

彼は1997年に発足したチリのドキュメンタリー国際映画祭(FIDOCS)の主催者です。『光のノスタルジア』(2010年カンヌ映画祭上映)、『真珠のボタン』(2015年ベルリン映画祭上映)からなる3部作の最終話とな『The Cordillera of Dreams』は2019年カンヌ映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞(ルイユ・ドール賞)を受賞した。

2019年
『夢のアンデス』
2015年
『真珠のボタン』
2010年
『光のノスタルジア』
2005年
『Mon Jules Verne』
2004年
『Salvador Allende』
2001年
『Le Cas Pinochet』
1997年
『Chili,la mémoire obstinée』
1995年
『Les Barrières de la solitude』
1992年
『La Croix du sud』
1987年
『Au nom de dieu』
1983年
『La Rose des vents』
1972-79年
『チリの闘い 3部構成』

ディレクターズ・ノート

2015年2月、私のドキュメンタリー映画『真珠のボタン』はベルリン映画祭で上映され、銀熊賞を受賞しました。数ヶ月後、チリでFIDOCS(22年前に私がサンティアゴで設立したドキュメンタリー映画祭)の一環として、『真珠のボタン』を上映しました。私はそこでの映画の受けとめられ方に、本当に驚きました。

私はその映画を擁護するために、長い議論のリストを事前に用意していました。ピノチェトのクーデターを扱った内容のため、私のドキュメンタリーが論争を巻き起こすことには慣れていたのです。本来、一般大衆は行方不明者や独裁政権によって殺され、拷問を受けた人々、政治犯についてなど聞きたくないものです。ですが今回は、映画の意図を正当化する必要などありませんでした。観客はこれまで以上に興味を持ってくれて、オープンでした。『真珠のボタン』はサンティアゴの映画館で非常に長い間上映され、何千人もの方々に見てもらえたのです。

その後まもなく、チリの教育省は大学、高校、中学で鑑賞するため、私の他の映画のコピーを取得までしたのです。“記憶がない”と思っていた私の国が、過去の記憶を調べ始めたのです。記憶喪失から抜け出し、自分の国に関するテキストの埃を払ったのです。私はまた、新世代が囚人や銃殺の犠牲者や亡命者の運命に強い興味を持っていることを知りました。

何十年間も続いた弾圧が今頃話題になっているということでしょうか?この事は私にとっては新鮮で、40年以上も私の作品を通じて探求してきた祖国と私との関係を変えました。実際、『光のノスタルジア』と『真珠のボタン』の後、10年前から取り掛かった3部作の最終話『The Cordillera of dreams』の観点を変えることにさえなったのです。

 

このことは映画の意図を形にするところを形にする上でとても助けになりました。この映画を通して相変わらず人間、宇宙そして自然、この三者の対立を描くことに変わりはありませんが、私の主題の中心であるこの巨大な山脈は、全てが失われたと思うとき、私にとっては不変のもの、私たちが残したもの、共に存在しているもののメタファー(隠喩)であったのです。コルディレラに飛び込むことで、私は自分の記憶にダイブします。険しい山頂を入念に調べ、深い谷に踏み込む時、おそらく私は、私のチリの魂の秘密を部分的に垣間見る内省的な旅を始めるのです。

チリの過去の
重要な出来事(年表)

1969年
マルクス主義を掲げるサルバドール・アジェンデが大統領選挙に出馬。
1970年
アジェンデが大統領に選出され、世界史上初の民主的選挙による社会主義政権が成立した。アジェンデ政権は,年金の充実,医療費の補助など社会福祉を向上させ、砂漠から銅、硝酸塩、その他の鉱物資源を採掘する鉱山を国有化するなどの社会改革を実行した。
1971年
共産党に入党していたため(1948年~1958年の間チリでは共産党が非合法であった)亡命を余儀なくされたチリの国民的詩人パブロ・ネルーダがノーベル賞を受賞。
1972年
アジェンデ打倒を画策する米国ニクソン政権による金融封鎖や富裕層・中間層によるデモの扇動、トラック所有者協会に資金提供しストライキを敢行させるなどの工作により、チリ国内は物不足とインフレを招き、混乱した。
1973年
混迷する国内の経済状況にもかかわらずアジェンデ政権に対する国民の支持は低下せず、総選挙で票の43.4%を獲得。
9月11日、軍によるクーデターが勃発。降伏を拒否したアジェンデは政府の宮殿で自殺した。
米国の支援を受け、クーデターの首謀者であるアウグスト・ピノチェトが以後18年間、権力を握る。
2004年のチリ政府公式報告書によると、約3000人が処刑、または行方不明と発表されたが、実際には数万人にのぼると言われる。また百万人が弾圧を怖れて外国に亡命した。本作の監督パトリシオ・グスマンもその一人である。
1980年
ピノチェトの軍事独裁政権は、米経済学者のミルトン・フリードマンが主張する新自由主義経済に特化した新しい政治憲法を制定。
1986年
ピノチェトは左翼グループによる暗殺計画を免れる。ハレー彗星がチリの空を通過する。
1988年
ピノチェトは自らの政府を正当化するために行った国民投票で、圧倒的に敗北。2年後には辞任に追いやられる。その後も陸軍総司令官に留まり、自ら“終身上院議員”と公言する。
1990年
キリスト教民主党のパトリシオ・アイルウィンが(民主)政権移行の初代大統領に選出される。
1998年
ピノチェトがロンドンの国際司法機関によって逮捕。大量虐殺、テロ、拷問の罪で起訴される。
1999年
ピノチェトは英国で500日拘留された後、チリのサンティアゴに戻る。
2006年
社会主義政党のミシェル・バチェレがチリ初の女性大統領になる。米国で、ピノチェトの25の銀行口座に、チリの国庫から盗まれた2800万ドルが発見される。
ピノチェトは裁判にかけられることなく、サンティアゴで死亡。
2010年
右派のセバスチャン・ピニェラ候補が大統領選に勝利。
マグニチュード8.8の地震がチリ南部を破壊する。これまで人類史上記録された5つの最強の地震のひとつ。
2014年
ミシェル・バチェレが2度目のチリ大統領に選出される。
2018年
セバスチャン・ピニェラが2度目のチリ大統領に選出される。
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