10人のライバルたち


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ジョージ・フォアマン

彼に嫉妬したよ、長身でハンサムだ。皆が嫉妬した。
私が対戦した中で最高のボクサーだ。
人種の枠を超え、彼は世界のヒーローだ。

プロフィール

1949年1月10日生まれ。アメリカ合衆国、テキサス、マーシャル出身。1968年にオリンピックでヘビーライト級金メダルを獲得。彼の最初の世界ヘビーライト級のタイトルは1973 年にジョー・フレージャーを2ラウンドでノックアウトしたもの。近年の最も有名なボクシング試合の一つである1974 年、ザイールのキンシャサでの8ラウンドでモハメド・アリに敗れた対戦の前までに、彼はプロで40 勝あげている。彼は1978 年に引退したが、1987 年に38歳で復帰し、1994 年、45歳でミカエル・ムーアーから10ラウンドでタイトルを奪還し、最年長タイトルホルダーになった。彼は翌年、再び引退したが、1997年にさらに戦っている。彼は1977 年から聖職者であリ、その経緯は本作の中で本人が語っている。

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ジョー・フレージャー

当時、俺はこう思っていた “いつか黙らせてやる”

プロフィール

1944 年1 月12 日生まれ。南カリフォルニアのビューフォート出身。ロビン・フレーザーとドリー・フレーザーの息子。1958 年からプロボクサーになる。ジョー・フレージャーはボクシング史の多くに名を刻んでいる。彼は1964 年、東京オリンピックで金メダリストになり、アメリカ人初のオリンピックヘビーライト級金メダリストになり、さらに、ヘビーライト級の世界タイトルも獲得した。彼はチャンピオンの間、史上最多ノックアウト率を保持し、一方で彼がノックダウンしたのは数回、ノックアウトは一度も無かった。1971 年の世界ヘビーライト級タイトルをかけてモハメド・アリと戦った試合は、“世紀の三戦”のうちの最初の試合で、この対戦は観客動員、収益で当時の最高記録を打ち立てた。

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ラリー・ホームズ

この国に来たあらゆる人種がリングで血を流した
試合後、アリに「愛してる」と言ったら、
「愛してるのに殴るのか?」と…(笑)

プロフィール

1949 年11月3日生まれ。元プロボクサー。ペンシルベニアのユーストンで育つ。ニックネームは「イーストンの暗殺者」。ホームズの左ジャブはスポーツ史上最強の武器と考えられていて、1978年から1983年のWBC ヘビーライト級チャンピオン、1980年から1985年のリングヘビーライト級チャンピオン、1983 年から1985年のIBF ヘビーライト級チャンピオンである。彼は20戦の防衛記録をつくり、これはジョー・ルイスの25回に続く2番目の記録である。ホームズはプロ初戦から48勝あげており、ロッキー・マルシアノの49戦ストレート勝ちに届く勢いだ。この48勝にはケン・ノートン、モハメド・アリ、ゲリー・クーニー、マルビス・フレージャーへの勝利も含まれている。彼は多くのボクシング専門家によって史上最強のヘビーライト級ボクサーとしてランク付けされている。

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レオン・スピンクス

アリは俺のアイドルだった
当時の若者にとってもね
なぜならアリは唯一無二の存在だからだ
彼のマネはできても、決して彼にはなれない
認めるべきだ

プロフィール

1953年7月11日生まれ。元アメリカ人プロボクサー。彼はプロとしてトータル26勝、17敗、3引分けを記録している。そのうち14勝がノックアウト勝ちで、元WBCとWBAの世界チャンピオンである。彼はアマチュア時代、アメリカ海兵隊のメンバーであった。スピンクスは36歳のモハメド・アリを破り、これはボクシング史上最大の番狂わせとされた。

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ジョージ・シュバロ

モハメド・アリ以上に崇拝されている人物が
ボクシング界にいたか?
彼は偉大な王者として、人々の記憶に残るだろう
悲しい終わりではあったが、誰もが知っていた
偉大な王者だと

プロフィール

1937年9月12日生まれ。1956年から79年にかけ、プロ93戦を戦ったカナダのヘビー級ボクサー。史上最強のアゴを持つファイターと称され、“無類のタフガイ”として知られている。 アリとの第一戦は、1966年3月、アリの世界タイトルマッチ。試合後、アリはシュバロを「今までやってきた奴の中で一番タフな奴さ」と称した。第二戦目は、1972年。アリに明白に差を見せつけられ、判定負け。この試合がシュバロのボクシング史上最後のメジャーでの試合となった。

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ケン・ノートン

まさに人生を賭けた大勝負だったアリと同じリングに立てたことは
私にとって名誉なことだし、人生と経歴の救済になった
機会を与えてくれた彼に感謝したい

プロフィール

1943年8月9日生まれ。元WBCヘビーライト級チャンピオン。彼は1973年3月31日にアリの顎を砕いた12ラウンドの勝利でよく知られている。彼はプロとしてアリを破った二番目のボクサーになった。(ジョー・フレージャーが1971年3月8日に15ラウンド満場一致でアリを破って以来)。

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ヘンリー・クーパー

190センチの長身だが、動きはミドル級だ
それが彼の武器だ
彼の功績を認めざるを得ないだろう

プロフィール

1934年5月3日生まれ。イギリス人のヘビーライト級ボクサー。彼の左フックは効果的で、若きモハメド・アリをノックダウンしたこともある。クーパーは現役時代にイギリスとヨーロッパのヘビーライト級タイトルを何度か獲っているが、1966年の世界ヘビーライト級チャンピオン戦でアリに敗れている。引退後は、テレビやラジオのパーソナリティとして活躍し、イギリスでは人気となり、エリザベス女王から「サー」の称号を受けた初のボクサーとなった。

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ロン・ライル

試合でのアリは、別のレベルにいた
皆の一歩上にね
彼には天賦の才があった
彼には愛があり、その愛を与えてくれた
我々がその愛を語り継ぐんだ

プロフィール

1941年2月12日生まれ。元アメリカ人プロボクサー。彼は彼が活躍した時代のベストボクサーのひとりと評されている。彼は大衆受けするパワーパンチャーだった。ライルがプロボクサーになったのはとても遅く、ビル・ダニエル、トレーナーのボビー・ルイスの下でプロになった。彼の初試合は30歳の時、コロラドのデンバーで、対戦相手はA.J.スタプルズである。2ラウンドでノックアウトにより勝利を収めた。ライルは17ノックアウトを含む19勝0敗2分けの記録を作り、ヘビーライト級ボクサーの5番目にランク付けされた。1975年5月16日にヘビーライト級チャンピオンのモハメド・アリの2度目の防衛戦のときに、彼と対戦する機会を与えられた。

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アーニー・シェーバース

アリはボクシングを変えた唯一無二の存在だ
ボクサーにとってもね
彼は最強のチャンプで、私の人生を変えた男だ

プロフィール

1945年8月31日生まれ。元アメリカ人プロボクサー。2003年に雑誌「リング」が選ぶ100人のボクサーで10番目にランキングされた。シェーバースは22歳の時にボクシングをはじめた。2週間後、彼は最初の試合で1ラウンドノックアウトでジム・ダニエルズに勝利した。彼の右アッパーカットとクロスは彼の最強の武器である。シェーバースは1977年9月28日にマディソン・スクエア・ガーデンでモハメド・アリと対戦した。アリはシェーバースの頭が坊主だったので彼に”どんぐり(Acorn)”というニックネームをつけた。

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アーニー・テレル

どうしてもアリを倒してタイトルを取りたかった

プロフィール

1939年4月4日ミシシッピ州生まれ。元WBA世界ヘビー級王者であり、シンガーでもある。198センチ。 クリーブランド・ウィリアムス(第一回戦でテレルはノックアウトでリングに沈んだが、リベンジを果たし判定勝ち)、ゾラ・フォーリー、(後にライトヘビー級王者となる)ボブ・フォスターを下し、世界ランク入り。73年引退後、シカゴにて音楽プロデューサーとして新たな人生の幕を開ける。

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