コメント

宇野亜喜良

いつか、誰かから、花は植物の性器だと聞いたことがある。この映画の主人公はホア(花)

ホアは、セックスによって水面に浮上し、漂う花になる。セックスという漂泊感覚と、愛という予測不能な精神のレトリックが、スクリーン上にはかなく造形される。

─ 宇野亜喜良(イラストレーター)

「愛」に定義も正誤もないって、もともと不確かだからこその寛容さなんだって、わかったようなフリをしてきたけれど、やっぱりだめだ。

みんな、確かなものが欲しくてもがき苦しんでるんだよね。私だって同じ、そう思ったら、ため息が出た。

─ 森下くるみ(女優・文筆業)

「あばずれ」と呼ばれる主人公・花に、わたしたちのうちの誰が石を投げることができようか。

愛が欲しい愛したい、その衝動に、彼女のように忠実になれたら。

そうしたら、幸せになりたい、なんてむなしいことを考えずにすむのに。

─ 狗飼恭子(作家/脚本家)

映画の如き馬鹿げた恋はもう御免と思いつつ、20歳代の自分があれほど馬鹿だったからこそ体験できた濃密な情事の数々が、記憶に甦る。

修羅場を経て賢くなった分、身を焦がす性愛から遠ざかる……自分は他の道を歩めたのか?

─ 宮台真司(社会学者・首都大学東京教授)

『さだめなき女の日々』という、なつかしい洋画の名画の題名が思い出された。また有島武郎の『或る女』のことも。北京とパリの間をせわしげに行き来するヒロインは、まさに落花狼藉の物語を生きている。監督は彼女の身体を通して、観光客がけっして触れることのないパリを、至近距離で見つめている。

─ 四方田犬彦(映画学・比較文学専攻)

コリーヌ・ヤンとタハール・ラヒムが圧倒的な存在感を放つ

─ ハリウッド・リポーター

思わずのめり込んでしまうと同時に、ときに目をそらしたくなる映画

─ スクリーン・インターナショナル

ロウ・イエは流動的な空間の中に入ることとカメラを肩に置いて撮影することにより、貧弱で残念な普通の世界を予期せぬ豊かさで表現する。

─ カイエ・デュ・シネマ

『ふたりの人魚』以来のロウ・イエの最高作

─ フィルム・ビジネス・アジア

主人公が抱く喪失感の只中に入り込むロウ・イエならではの才腕、それがこの映画の強力なエンジンになっている。

─ リベラシオン