マルジェラが語るマルタン・マルジェラ” Martin Margiela: In His Own Words

2021年9月17日(金)公開
INTRODUCTION

この映画について
INTRODUCTION

公の場に一切登場しない、
撮影・対面インタビューにも応じない。
型破りでエレガント、突然の引退から10年以上経った今も大きな影響力をもつ
謎の天才デザイナー、マルタン・マルジェラがついに沈黙を破る。

常に時代の美的価値に挑戦し、服の概念を解体し続けたデザイナー、マルタン・マルジェラ。
キャリアを通して一切公の場に姿を現さず、あらゆる取材や撮影を断り続け匿名性を貫いた。
本作の監督のライナー・ホルツェマー(『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』)は、難攻不落と思われたマルジェラ本人の信頼を勝ち取り、「このドキュメンタリーのためだけ」という条件のもと、ドローイングや膨大なメモ、初めて自分で作った服などプライベートな記録を初公開し、ドレスメーカーの祖母からの影響、ジャン=ポール・ゴルチエのアシスタント時代、ヒット作となった足袋ブーツの誕生、世界的ハイブランド、エルメスのデザイナーへの抜擢就任、そして51歳にして突然の引退――これまで一切語ることのなかったキャリアやクリエイティビティについてカメラの前でマルジェラ自身が語る、貴重なドキュメンタリーを作り上げた。

なぜ、マルタン・マルジェラは評価され続けるのか?
革新的、繊細で優しく、かつ大胆不敵、
本質を見極め、決して妥協しない。
マルジェラの創造性と仕事術、その全貌が明かされる。
  • 映画『マルジェラが語る “マルタン・マルジェラ” Martin Margiela: In His Own Words』
  • 映画『マルジェラが語る “マルタン・マルジェラ” Martin Margiela: In His Own Words』
  • ファッション界のバンクシー、
    マルタン・マルジェラが
    自身の人生とキャリアについて
    感情的に自問自答している
    ハリウッド・レポーター
  • 創造性のためにブランドを去ったのは思い切った決断だ。
    あれほど服と仕事を愛してる人が辞めたのはすごく勇敢だと思う
    ジャン=ポール・ゴルチエ
    ファッションデザイナー
  • 初めて一般人をモデルにしたのは彼。
    マルジェラは
    モードの革命児で今も新しい。
    たくさんのランウェイにまだ彼がいる
    カリーヌ・ロワトフェルド
    『CR Fashion Book』創立者
  • マルジェラが想定したのは
    ユーモアのある女性。
    自由で知的な女性ね
    サンドリーヌ・デュマ
    映画監督/マルジェラ モデル
  • 彼は時代を築いた。30年前に始まって、次の20年も彼の時代が続きそう。
    50年もファッションをリードするなんて本当に偉大よ
    リドヴィッジ・エデルコート
    トレンド予測家

マルタン・マルジェラについて
MARITIN MARGIELA

1957年
ベルギーのルーヴェンで、イタリアにルーツを持つポーランド人の父親とベルギー人の母親のもとに生まれる。
1976~1980年
アントワープ王立芸術学院で学ぶ。
1980年
ミラノのファッション会社に勤務。
1982年
ベルギーの会社のスポーツウェアをデザインする。また雑誌にイラストを描く。
1983年
ベルギーで開催されたゴールデン・スピンドル賞のおかげで、初めての2つのコレクションを企画。この賞の審査員には、ジェニー・メイレンスとジャン=ポール・ゴルチエが名を連ねていた。
1984年
ジャン=ポール・ゴルチエのアシスタントに就任。
1988年
ジェニー・メイレンスの支援を受けて、メゾン・マルタン・マルジェラを創設。
初のファッションショーを開催。
1989年
第1回アンダム・ファッション アワード(フランス国立モード芸術開発協会主催)で最優秀ファッション・デザイナー賞を受賞。
1990年
アンダム賞の賞金でカンパニーをパリのサン=ドニ通りに移転し、“アトリエ・アーティザナル”をオープン。
1991年
ガリエラ美術館で初のコレクティブ・エキシビジョンを開催。
1994年
ヴィンテージの素材を使った初のシリーズを発表し、“レプリカ”と名付ける。メゾンをパサージュ・ルエルにある600平方メートルのビルに移転。
1997年
“6”と名付けた新しいベーシックス・ラインを始動。このラインは後に“MM6”と改名される(2004年)。ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館が、初のメゾン マルタン マルジェラの回顧展を企画。またはエルメスのウィメンズプレタポルテ部門のアートディレクターに指名される。
1998年
ライン“10”(メンズ用ウェア)を発表。またメゾン マルタン マルジェラの象徴ともいえる有名な白いタグが(フランス)産業財産庁によって登録された。
1999年
メゾン マルタン マルジェラのオフィスとスタジオをフォーブール・ポワッソニエール通りに移転。
2002年
メゾン マルタン マルジェラのブティックを東京・恵比寿、ブリュッセル、パリにオープン。イタリアのOTBグループ(代表:レンツォ・ロッソ)がカンパニーを取得。ジェニー・メイレンスが引退。
2004年
メゾン マルタン マルジェラのオフィスとスタジオをリュ・サン=モールに移転。
2005年
アクセサリーライン“11”とシューズライン“22”を発表。
2006年
“アーティザナル・コレクション”が別のラインになり、パリのオートクチュール・プレゼンテーション・カレンダーに加わる。
2007年
マルタン・マルジェラがOTBからの離脱を表明。
2008年
9月29日のメゾン マルタン マルジェラの20周年を記念するショーで、マルタン・マルジェラがハウスを離脱。

監督
DIRECTOR

  • 監督
  • ライナー・ホルツェマー

    1958年、ドイツ・ゲミュンデンに生まれる。80年代にドキュメンタリー映画の脚本、監督、撮影、編集の技術を独学で学ぶ。ニュルンベルクでインディペンデントのフィルムメーカーのグループを結成。文化、歴史、社会的なテーマを扱った数本のドキュメンタリーで共同監督、撮影、編集を担う。1983年にライナー・ホルツェマー・フィルム・プロダクションを設立。現在に至るまでに、30本以上のドキュメンタリー映画やアーティストのポートレイトを制作しており、特に写真の分野のアーティストのポートレイトは、彼の作品の重要的な側面をなしている。日本での公開作品に『マグナム・フォト 世界を変える写真家たち』(1999年)、『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』(2016年)などがある。

監督の言葉

ドリス・ヴァン・ノッテンに密着したポートレイト、『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』が成功した後、また別のファッション・デザイナーを選び、その人物を追いかけて新しいドキュメンタリーを撮ることは簡単なことではなかった。候補リストのトップにはマルタン・マルジェラの名前があったが、彼をカメラの前に引きずり出すことなど、どう考えても不可能だと思いこんでいた。だが、いくつかの理由と事情が重なり、不可能が可能になった。2018年2月、彼と初めてパリで会ってすぐ、この無謀な冒険に一緒に乗り出すことを決めた。当時、マルタン・マルジェラのすべてのコレクションの回顧展(『Margiela / Galliera 1989-2009』 )の準備中だったことが、我々の背中を押したのだ。

彼が過去を振り返って、自身の言葉で自らの作品の哲学やその発展を説明したいと思っていたのは、本当だった。悪名高い彼が、信じられないほど謙虚に話したのだった。長年、正体を明かさずに生きている、この魅力的で有名な人物を撮るが許されたことは、私にとって嬉しくも光栄なことだった。と同時に、この映画が難しい作業になることが分かっていた。自分自身のことよりも、常に自身の作品を一般に公開することに重きを置く彼の人物像に迫るというのは難しい課題だった。

マルタン・マルジェラのことを誰にも知られずに撮らなければならなかったが、このことが私にとって問題があるわけではなかった。カメラのフレームからすばやく彼の顔を外せばいいわけだ。手付き、仕草、ハンドメイドへのこだわり、そして何よりも自身の作品へ注ぎ込んだ愛情から彼の存在を感じさせることができるからだ。自分自身や自身の作品に皮肉やユーモアは、今なお健在だ。このドキュメンタリーを通して、マルタン・マルジェラが観客を笑顔にすることは間違いないだろう。

この映画は単なるサクセス・ストーリーではない。何よりも私にとっては、自らの道を歩み続け、そのポリシーから“不滅”の存在へとなった男のストーリーである。彼は自らの幸せのために、キャリアの絶頂期に辞め、命を削るファッションの世界に背を向けた勇気ある男の物語なのだ。

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