Comments (敬称略・順不同)

宇宙が見せる遠い過去と、時代が隠す近い過去の接点としてのこの現在、自然の美しさとともに人間の恐ろしさを、グスマンは詩人の眼で明らかにする。
『光のノスタルジア』『真珠のボタン』

─谷川俊太郎(詩人)

どちらの映画も、あまりにも悲しいことを信じられないくらい美しい映像の『ことば』で描いている。
美しすぎて一度も目を離すことができなかったからこそ、歴史の悲しい真実というものは時の流れと宇宙の中に自然に埋もれていくのではなく、人間の心の汚れだけが不自然なのだと理解できた。
このような表現のしかたに対する敬意だけが、このふたつの映画を見終えた私の心の中に静かに響いている。
『光のノスタルジア』『真珠のボタン』

─吉本ばなな(作家)

人間は昔から愚かで自然には昔から果てしがない。それでも、私たちが生きているこの世界に、いまより少しでも善い未来が来ますように…。その希望(祈り?)だけが、ドキュメンタリー作家が飽くことなくカメラを回し、人と対話を重ねることの原動力だった! この大切な事実を、これほどまで深く、私たちに理解させてくれた作品は稀だろう。
『光のノスタルジア』『真珠のボタン』

─畠山直哉(写真家)

そもそも南米には、政治と文学とドキュメンタリーと詩と娯楽と前衛と歴史と超歴史と現実と非現実と、映画とそれ以外の区別が無い。という伝統をありありとあけすけに、のびのびとやりたいだけやった2作品。何をどう感じれば良いのか失ってしまうほどの、圧倒的で静謐な混交。
『光のノスタルジア』『真珠のボタン』

─菊地成孔(音楽家/文筆家)

一〇〇億光年離れた星の映像は、ロングショットなのかクロース・アップなのか? 四〇〇〇キロの海岸線に打ち付ける海の飛沫はパンで捉えられる? 四〇年前に行方がわからなくなった愛する人を探すには、何にマイクを向ければいい? ショットごとにカメラの位置を探りながら、遠さと近さ、過去と現在の切り返しが繰り返される、素晴らしいドキュメンタリーでした。
『光のノスタルジア』『真珠のボタン』

─大谷能生(音楽・批評)

過去に棲む者たちの声を聞くためには特別な才能と訓練を要する。彼らの声はとても小さいけれども、宇宙の彼方から、荒涼とした砂漠から、そしてシャツにつけるボタンから、絶えず僕たちに向かって語りかけてくる。それらを集めつむいだパトリシオ・グスマンの美しいイメージは未来にたくされた手紙のようであり、僕はそこに宿るものを信じたい。
『光のノスタルジア』『真珠のボタン』

─坂本大三郎(イラストレーター・山伏)

コロンブスの時代と近代そして現代の痕跡が出くわす砂漠。それがミクロの過去であるならば、その上空にはマクロの過去としての宇宙が広がる。歴史という人の営みを見下ろす宇宙に神がいないとき、私たちにできることは、記憶というささやかな時間のカプセルを作ることなのだろう。
『光のノスタルジア』

自然と呼ばれる前の自然をどう呼べばいいのか。それが資源となったとき欲望が肥大し、争いや収奪が起こる。水と共生する先住民の驚異的な知恵に学ぼうとせず、自分たちの論理を独善的に持ち込み、振り回し、利害を生み、災厄を招く愚かさを、小さなボタンが静かに語っている。
『真珠のボタン』

─野谷文昭(東京大学名誉教授・ラテンアメリカ文学翻訳家)

宇宙の光を覗く者たちの熱い視線。遺族の骨を探し、大地を見続ける者の悲しみの視線。様々な人々のそれぞれの眼差しが心に残る。カメラを向け続けるパトリシオ・グスマン監督も、それぞれの人物の瞳に美しい光を見たに違いない。素晴らしい、偉大な監督に感嘆した。この映画に感謝したい。
『光のノスタルジア』

パタゴニアの先住民の姿と眼差しが痛烈に胸に刺さる。遠い国チリの悲劇の歴史、過去の人間の非道な行為を、私たちは他人事のようには見てはいけない。私たちの命は、遠い過去からずっと「水」でつながっていて生きている。水の声が聞こえなくなった我々現代人は、もう一度、水に耳を澄まさなければならないのかもしれない。
『真珠のボタン』

─森山開次(ダンサー・振付家)

チリはもっとも美しい空を有すると同時に、人間による愚かな歴史を持っている。天体望遠鏡に届く光と、砂漠のなかに埋もれる数十年前の歴史の闇。星と骨、葬られた者を探し、静かに罪を問い、大きな時の流れへと観る者の目を開かせる。
『光のノスタルジア』

チリに存在した海洋民族のことを、多くの人はこの映画によって初めて知ることになるだろう。水滴と海、宇宙と人間……視点の拡大と縮小を繰り返した先に見えるのは、歴史の外に放り出された真実の欠片だ。わたしたちは、それをひろって光に透かす。
『真珠のボタン』

─今日マチ子(漫画家)

チリ北部、アンデスの高地に広がる砂漠。乾燥しきった気候のため、アタカマ電波望遠鏡群を始め多くの望遠鏡が設置され、天文学者は宇宙が語り掛けてくる微かな声に聞き入っている。他方、砂漠の砂粒の中にピノチェット時代に行方不明になった人々の骨を探す人たちが、亡き肉親との無言の対話を続けてもいる。溢れる光の中の天と地の永遠の対話が過去を蘇らせているのだ。よりよい未来を創り、内面の自由を得るために過去と向き合うことの大事さを痛感する。
『光のノスタルジア』

チリの最南部、パタゴニアは水に溢れ、海の底から昔投棄された真珠のボタンがもたらされる。そのボタンには、19世紀末の入植者による先住民の虐殺物語やピノチェット時代に海に投げ捨てられた「政治犯」たちの悲痛な声が刻印されている。失われた人々の無念の思いが、繰り返す波音とともにいつまでも心に響く。
『真珠のボタン』

─池内了(天文学者)

アタカマ砂漠―地上でもっとも乾燥した土地で作られたこの作品は、意識をめぐる壮大な実験だ。天文学的時空、考古学的歴史、そして同時代に生きる人の日々の営み、異なる「時」を示す3つの針が出会うとき、人生のもっとも深遠な謎への扉が開かれる。人間がどこから来てどこへ行くのか、遥かな過去と未来との間に宙吊りにされた意識は、問わずにはいられない。抹殺された人の命にも、星の光は届くのか―映画という名の探求がいま始まる。
『光のノスタルジア』

地球全体を細長く凝縮したようなチリという国の、その最南端には不思議な透明感をもつ水が広がる。多種多様な生物が見事な生態系を作るその水底に、かつて独裁政権によって殺された人々の痕跡が眠っている。そのかすかな徴から忘れられた人間たちの身体を取り戻そうとする。まるで水のシャツにボタンを付けるような作業の先に、やがて見えてくるのは、生きられなかった人々のための、愛の衣。記憶の水が、わたしたちの心に流れ込む。
『真珠のボタン』

─港千尋(写真家・映像人類学者)

広大な宇宙、そしてアタカマ砂漠。星を、そして、骨を探す人々。はかりしれない天文学のスケールと独裁政権下の忌まわしい真実とが混ざり合う。愛しい人の星影を胸に生きていく女性たち。深まる悲しみと切なさ、尊さをチリの天地が幼子のように抱きかかえようとする瞬間にあふれる。それが一冊の詩集のように宿っている。
『光のノスタルジア』

水は記憶している。祖国と自由を奪われたパタゴニアの先住民たちの歴史を。そして独裁政権下の恐怖政治による血塗られた過去を。無数の記憶を守りながら南米の海は漫々と時と宇宙を湛えている。海底に眠るあるレールに付着していた、小さなボタン一つにも魂はあるのだと知った。沈黙の中に雄弁に物語る何かを感じて欲しい。
『真珠のボタン』

─和合亮一(詩人)

砂漠は光にあふれている。昼は太陽の光、夜は星々の光。だが光はすべて過去から訪れ、現在を微分する。 光に誘われてふりかえるとき、私たちの地上の運命がはっきりとした輪郭をもって現れる。 先住民たちの旅の軌跡、独裁者が殺した人々の生の痕跡。降りそそぐ光は、探求と内省の彼方に、どんな和解をもたらすのだろう。
『光のノスタルジア』

チリはひとつの長い長い島だ。大陸の一部でありながら世界でもっとも孤立した、南北4600キロを超える島。その砂漠は宇宙にもっとも近く、その海はどの海にも負けず古い。遠い場所たちが宿すのは、先住民族の破壊と独裁政権による虐殺の記憶。美しい土地の暗鬱とした影が、圧倒的にコズミックな感覚をもって語られる。
『真珠のボタン』

管啓次郎(明治大学教授、ASLE-Japan文学・環境学会代表)

人間の骨を形成しているCaが星々で発見されるCaと同じものである。
と天文学者の話しを聞きながら、失った遺族の骨を探す女たちの対比。
アタカマ砂漠のリアルな空間は観ている私達の記憶でも在る。
『光のノスタルジア』

─北村道子(スタイリスト)

星と砂と骨。天文学と考古学と悲劇。この映画は様々な過去をただ静かに並べる。並んだ過去はつながって、星座のように物語を紡ぎだす。砂漠を走る風の音、透き通るような空。そして気がつく。この映画もひとつの過去であり、私たちは過去を眺めているに過ぎないと。そして誰もがいつか骨になり、過去になるのだと。
『光のノスタルジア』

─柴幸男(劇作家・演出家/ままごと主宰)

パトリシオ・グスマン監督が導いてくれた視線は、138億年前と現在を、地の底と宇宙の彼方を、私の生活と1万7千キロ離れたチリを、溶かして継ぎ目の無い美しい塊にして覗かせてくれる。ぞっとするような事実と私が同居する驚異の景色だ。その”目"を与えてくれるこの作品を尊く思う。
『光のノスタルジア』

─ひらのりょう(アニメーション作家・漫画家)

隠された時代と遠い宇宙の時間。様々な交差をグスマンは
シンプルに僕らの前に提示してくれる。

『光のノスタルジア』

─蓮沼執太(音楽)

美しい自然の中に潜む愚かで野蛮な人間の歴史が、ボタンと名付けられたインディオの青年と、海底に遺されていたひとつのボタンが響き合い、残酷な現実を明らかにする。文明と文化、政治と経済、人間のいとなみの発展とは?この映画は深く辛辣な問いをチリの国から投げかける。
『真珠のボタン』

─石内都(写真家)

失われた者たちの声を水から聞くことができるというのは本当かもしれない。宇宙的なスケールの美しさとチリの震撼するような歴史、そして淡々と紡がれ次第に繋がってゆく様は圧巻。砂漠をテーマにした 『光のノスタルジア』とあわせて観るとより濃厚に。
『真珠のボタン』

─小林エリカ(作家・マンガ家)

自らの生きる地を求めて流れゆく民族、自身の文明を過信する人々、奪われる言語、文化、意志、命…。静止した写真を綴るような静かで美しい映像を背景に残酷な人間の歴史を浮かび上がらせる。 おとぎ話のように繊細で幻想的な映像にくるまれた人間の本質の物語。
『真珠のボタン』

─池辺葵(漫画家)

わたしにも水の声がきこえるだろうか

映画『光のノスタルジア』『真珠のボタン』

『真珠のボタン』

─ヒグチユウコ(画家)