インタビュー


まとめ 古居氏 四方田氏 足立氏

監督インタビューFAQ

ハニ・アブ・アサド監督が、映画『パラダイス・ナウ』日本公開のためのプロモーションで2007年2月8日〜2月16日に来日した際に行ったインタビューをまとめました。


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この映画の着想と準備

この映画を作ったきっかけを教えてください。

1999年にスリラー映画を作っていた時、突然ひらめきました。この自爆攻撃という題材はとても大切で興味深いと感じたのですが、私にはその背景の知識が全くありませんでした。それは暗闇にいるような感覚で、知らないという状況は恐ろしいことです。映画とは特定のものに光を当てる作業であり、すべてに光を当てることはできません。しかし、観客は現実には体験できないこと、自分とは全く違う人生を知ることができます。人には知識や技術を得たいという欲求があるので、リサーチ前にわからなかった自爆攻撃についてもっと知りたいと思うようになりました。


自爆攻撃について、どのようなリサーチをしましたか?

自爆攻撃を実行した人にはもう話を聞けませんから、自爆攻撃者の遺族、自爆攻撃を計画するグループ、イスラエルに収容されている自爆攻撃に失敗した人を弁護する弁護士に会って話を聞きました。また、他の文化も参考にしようと、日本の神風特攻隊の残した手紙を読みました。


リサーチを通して感じたことを教えてください。

私の調べたところによると、自爆攻撃をした者の遺族は自爆攻撃で亡くなったことを大きな損失だと感じています。しかし、誰も無駄死にしただなんて思いたくないので、社会の為に死んだと口にします。しかし、心の内はきっと違うでしょう。
神風特攻隊の手紙は、自爆攻撃者と非常に似ている部分がありました。「良いことをするんだ、お国の為だ」と自分に納得させようとする文が多く、しかし、文字の隙間に恐怖だとか悲しみといった、人間らしい面が感じられました。そうしてはっきりしたことは、ひとつとして決まったタイプはなく、誰一人としてステレオタイプな型にはまっていないということです。


なぜ彼らは自爆攻撃をするのだと思いますか?

パレスチナの若者は占領下に生まれ、毎日のようにイスラエルの軍隊に侮辱を与えられます。希望もなく、自分達にできることは何もない、そんな無気力な若者が自爆攻撃をするのです。自分は臆病で、無力だと感じている若者に、唯一できることが自爆攻撃だと思い込んでいるのです。自分が死ぬことで敵を倒し、英雄になれる、そこで初めて生きている実感がもてるのでしょう。


自爆攻撃者の運命についてどうお考えですか?

この映画で描きたかったのは、信仰により受け入れてしまう運命というものです。Destiny(運命)とFate(信仰)は似ている単語ですが、destinyは「運命を自分で変えていくこと」、Fateは「そのまま受け入れてしまうこと」を表します。サイードとハーレドの場合、最初は組織の人間に指名されそのまま受け入れましたが、最後は結果的にそれぞれ自分で決断して行動しました。例えばサイードは、ハーレドとはぐれて単身イスラエルに向かった時、バスを吹き飛ばすチャンスがあったのにそうしなかった。子供たちを道連れにできなかったのです。でも、最後のシーン、バスは兵士でいっぱいです。兵士は自分と同一視できたのです。ここに、彼の意志と主義があります。全ての人間にとって最後に死ぬということは変えることのできない運命ですが、しかしその過程は人それぞれで変えることができるのです。


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撮影時の様子

この映画はいつ、どこで撮影されたのですか?

2004年の1月から5月の約5ヶ月間です。
主にイスラエル占領地ナブルスで撮影をしました。その後、私の故郷であるナザレ、そしてテルアビブに移動しました。


撮影場所となったナブルスについて教えてください。

ナブルスは街を歩いていれば時折爆弾が飛んでくるような、大変危険な地域です。街は軍隊や検問所に囲まれていて、人々は大きな監獄に閉じ込められているような閉塞感を味わっています。 撮影時には、イスラエル軍の爆撃で地元の方が亡くなったり、近くでもの凄い銃撃戦が起こり、3時間ずっと床に伏せて撮影が中断したこともありました。実際、映画の中で聞こえる銃声は、ほとんどが実際に起きていた生の音です。ある日、ロケーションマネージャーがパレスチナのある組織に金銭目的で誘拐されたことがあり、その時はアラファト議長の事務所に連絡し、1時間後に助けてもらいました。また、私たちは多数派であるファタハの一派からも保護されていました。


ナブルスにこだわった理由は何ですか?

ナブルスでの撮影は本当に危険でした。しかし私は実際に起こった現場で撮影したかったのです。サイードとハーレドが殉教の宣誓をビデオに撮影している現場は実際にそれに使われていた場所です。スタジオで撮影したのでは撮ることのできない空気感を画面に納めることができました。


途中、撮影場所をナブルスから比較的安全なナザレに移していますね?

ある日近くで銃撃戦があり、数人の女優が好奇心で現場を見に行きました。そこにはバラバラの3体の死体が転がっており、それを見てしまった彼女たちは気が動転してしまいました。「もうここでは良い演技はできない、立ち去る以外に道はない」と判断し、ナザレに移動したのです。


なぜ命の危険と隣り合わせの状況の中、撮影を続けられたのですか?

ほぼ毎日のように撮影を止めた方が良いと思っていましたよ。それくらい命の危険を感じていたのです。しかし、辞めるのは簡単ですが、ナブルスに住む地元の人々はそこから逃げるという選択肢はありません。私ひとりが逃げることはできないと感じていましたし、危険に直面して生きている人々の為にもここで去ることはできないと思いました。


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映画公開時の反応

今まで何ヶ国で上映されているのですか?

78ヶ国で上映し、私がプロモーションで訪れた国は17ヶ国です。アジアは韓国と台湾で上映しましたが、二国とも時間の都合でプロモーションに行けませんでした。


この映画に対する人々の反応は如何でしたか?

様々な反応がありました。人それぞれ違う反応を作り出す為に映画を作ったのですが、良い評価をしてくださった人は、「普段体験できないことをこの映画によって経験できた、行けない場所の様子を見れた」という感想が多いようです。


パレスチナ人の反応は如何でしたか?

非常に苦しい立場にいる人は、この映画が彼らの苦しみを声高に叫びきらなかったということに対して、不満があったようです。しかし私は、映画というものは苦しみや痛みを声高に叫ぶのではなく、囁くのが大切なのではないかと思っています。また、ナブルスには映画館がないので、闇市場で海賊版DVDが出回っています。海賊版DVDは商業的な娯楽映画が多いので、この映画が海賊版として出るのはむしろ誇りに思います。


イスラエルでは公開されましたか?また、人々の反応は?

大々的ではありませんが、テルアビブ、エルサレム、ハイファの映画館で公開されました。大きい映画会社では扱ってくれず、小さい映画会社により、小さな規模での上映でした。また、この映画に非常に興味はあるけれど、人々に映画を観たことを知られたくなく、映画館に行くことを躊躇うイスラエル人は、闇市場で売られる海賊版DVDでこっそり観ているそうです。 映画を観たイスラエル人の反応は自分自身に怒りを覚えたようです。中には混乱した人もいたようで、「自爆攻撃をする主人公に共感してしまった」ということに対し、自分を恥じ入ったり、攻める人もいました。


アカデミー賞ノミネート時の反対運動についてどう感じましたか?

1年前に映画が公開しているのに、アカデミー直前に反対運動を起こすということには疑問を持たざるをえません。彼らは実際に映画を観ていないのです。彼らはパレスチナ人が世界の権威ある賞にノミネートされるなんて許せなかったのでしょう。世界中のどんな人間でも、肉親や子どもを失うことはとても苦しく、悲しいことです。しかし、私はこの映画が存在しようとしまいと、彼らの悲しみが癒されることはないと思いますし、この映画を通して、世界の人々がよりよく知り、議論するきっかけになれば良いと思っています。もしもこの映画を作らないことにより、自爆攻撃によって亡くなった彼らの家族が生まれ変わって帰ってくるのならば、私はこの映画を決して制作しなかったでしょう。


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映画について

タイトルの由来を教えてください。

『パラダイス・ナウ』というタイトルは、パラダイスは来世で、ナウは現在という意味ですので、二つの共存し得ない空間を並列させています。しかし自爆攻撃者の場合、自爆した瞬間(現在)、来世に行けるので、これに限っては両立するのです。また、自爆攻撃者は同じ瞬間に加害者にもなり、被害者にもなるという、矛盾する二つの現象が共存する極めて稀なことです。このように、普通は両立せず、繋がらない二つの現象が繋がるという意味で、テーマの複雑性を反映したタイトルとなっています。


フィクションで作った理由を教えてください。

ドキュメンタリーは撮影の対象者に自発的に話してもらわなければいけませんが、フィクションは実際に起こった出来事をリアルに再現できます。ドキュメンタリーは沢山情報を入れることができますが、フィクションは感情移入しやすく、考える隙を与えてくれるのです。「現実を見せる為には嘘をつくことができる」これは必要なことであり、よりリアルに見せる為にフィクションで撮ったのです。


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監督自身について

なぜ航空エンジニアから映画監督になろうと思ったのですか?

当時好きだった女の子にフラれたので、映画監督になったら見返せるし、モテると思ったのです。しかし実際は、その後その女の子とはどうにもならず、今彼女は「あのゴールデングローブ賞を取ったり、アカデミー賞にノミネートされた監督は、昔私がフッた男なのよ」と言いふらしているそうですよ。
また、エンジニアはもし決断を間違えると他人の命を危険にさらします。映画監督は他人の命を危険にはしませんからね。


映画で世界を変えることができると思いますか?

私は政治家ではなく映画監督なので直接的に世界を変えられるとは思っていませんが、映画が議論のきっかけになれば良いと思っています。
文明には二面性があり、美しい文明と醜い文明があります。美しい文明は知識、芸術、音楽、コミュニケーションなど。醜い文明は権力、軍隊、武器、車、飛行機などです。私は美しい文明で醜い文明に対抗しようとする気持ちがあります。


日本に対してどのような印象をお持ちですか?

私は若い時から日本映画をよく観ていたので、日本はとても遠い国なのに完全に別世界という感覚はなく、身近に感じることができました。それは映画を通して普遍的な日本を知っていたからだと思います。黒澤明監督や北野武監督の映画をよく観ていました。日本の映画は複雑なのに動きが少なく描かれているように思います。
劇中でスーハがサイードに「日本のミニマリスト映画みたいな人生よ」と言うシーンがありますが、このミニマリスト映画とは『ユリイカ』(青山真治監督)を思い描いて入れました。また、実はこの映画の画面の構図は、何シーンか『ソナチネ』(北野武監督)から影響されています。知らない世界を体験し、感じることができる、それが映画の魅力ですね。


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