プロダクションノート
















カザフスタッフの集結

カザフスタンの映画状況はここ数年では景気が良く、映画関係者も潤っていたが、2008年に入って陰りが見え始め、1980 年代のカザフニューウエーブ終末期の作品を数多くプロデュースした佐野伸寿のもとに、以前のように低予算でも良いから企画が欲しいとの要望が寄せられていた。特に最近の映画は、カザフスタンの現状よりも、カザフスタンはこんなに素晴らしいのだという主題のものが多く作られ、カザフニューウエーブ時代の様なパンチの効いた作品は少なくなっていた。そこで、新たに映画を作ってみないかと佐野が提案したところ、かつてのスタッフたちが関心を持った。

主なスタッフは、カザフ側プロデューサーに『3人兄弟』のアプリモフ監督の妻で、母方にウイグル人の血をもつグルミラ・アプリモバとなった。そして撮影監督は『キラー』等カザフ映画界の第1人者ボリス・トロシェフ、美術は新進気鋭のモダンアーティストのアレクセイ・フィルモノフ、監督補には『チュルパン』でも助監督を務めたエルラン・ヌルムハンベトフというように、カザフ映画界でも名を馳せたスタッフである。そして、『キラー』で1998 年カンヌ国際映画祭ある視点部門でグランプリを獲ったダルジャン・オミルバエフ監督も役者として参加することになった。

撮影方法

この映画はフィクションであるがドキュメンタリーのようなリアルさを必要とした為、原則としてワンシーンをワンカットで撮影することになった。主人公のラスールは演技が小さく演出が難しかったので、毎回シチュエーションを与えて自由に行動させ、それをカメラで追うという撮影方法に変えた。それによりラスールは実に自然な表情でスクリーンに治まり、見ている人たちはこの映画がドキュメンタリーではないかと錯覚するまでになった。また、自爆攻撃を実行しようとするシーンは、戦勝記念日の5月9日に撮影することになり、役所に撮影許可の届けを出したところ、この日はお祭りだから、政府首脳が臨席する場所以外は撮影許可はいらないと言われ、不思議なくらい軽易に撮影ができた。その他、様々な偶然でこの映画は撮影することができ、それがよりリアルな状況を演出したといえるのかも知れない。

小型カメラで表現する世界

『ウイグルからきた少年』のような映画が可能となったのは技術的な進歩が大きい。佐野伸寿監督が2000年にセリック・アプリモフ監督作品『3 人兄弟』をプロデュースし、東京国際映画祭で上映された時、ラース・フォントリア監督作品『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のキネコを担当したスタッフが来日しており、彼らと様々な議論を交わす機会に恵まれた。彼らの映画でソニーの小型ビデオカメラPD100(家庭用の呼び名はTRV900)で撮影したものは、キネコでフィルムに焼いた部分が多く使われており極めて奇麗に仕上がっていた。もちろんコンピューター上でブローアップしたものを使っているのだが、佐野監督のそれまでの作品では35mmのアリフレックスしか使ったことがなく、小さいカメラで映画が撮れるということに感動した。同時に、小さいカメラで今まで誰も撮ったことのない全く新しい映画が作れる予感がした。佐野監督は全編小型ビデオで撮って映画を作りたいと考えた。

しかし、大きなカメラで撮影できるような作品を小さいカメラでとっても仕方がない。小さいカメラでしか表現できない世界を作りたかった。 シナリオを作って行く段階で、この作品こそ全編小型ビデオで撮った方が良いと確信した。特にラストシーンは絶対に小型ビデオでなければ撮れない。また、ビデオなら比較的長回しが可能であり、長回しを多用した演出ができる。今回はリアルさを求めたため、シナリオを構成していくうちに長回しの必要性は増して行った。

その時念頭にあったのは、2006年に佐野監督がイラクに持って行ったパナソニックのHVX200 という、テープを使わずにメモリーで撮影するカメラだった。イラクでは砂の影響で、テープを使ったカメラが良く壊れたが、このカメラは全く故障知らずで、信頼感が高かった。また、P2カードというメモリーは撮った後、パソコンに時間をかけずに簡単にキャプチャできるもので、撮影した現場でパソコンに取り込み、簡易編集までできてしまう、まさに画期的な撮影スタイルを可能にした。

最小限の予算、日数、スタッフ

撮影した映像データは、撮影の間も現場もしくは移動間にノートパソコンを使い記憶媒体に取り込み、ベースで編集し、その日、もしくは翌日のロケ出発前にはラッシュというスケジュールで撮影が進み、最後のシーンまでに約7割の仮編集が終わっていた。そのお陰で撮りこぼしもなく、しかも、カザフスタンにいる間に現地のスタッフと共に音のミックス以前の段階まで仕上げることができた。

実際、約100万円~200万円という限られた予算の中で、撮影準備1週間・撮影日数11日間、撮影クルー9名(監督1名、撮影監督1名、照明兼カメラアシスタント1名、美術監督1名、監督補1名、ラインプロデューサー1名、特殊効果1名、プロデューサー兼スチール1名、ドライバー1名)という、最小限の撮影日数、最小限のスタッフというかたちは、前述のカメラを使うことによって初めて可能になったと言える。

そしてこの小さいカメラに少ないスタッフであったからこそ、驚異的な早さでトラブルもなく映画がクランクアップまでこぎ着けることができた。この様な撮影ができれば、どんな場所でも劇映画を成立させることができるのではないか。