ホドロフスキー・ショック!!!!!私はあの時、初めてホドロフスキー作品と出会った。(敬称略・順不同)

まだ子供だった頃にうちの両親は我々子供たちに見せないように夜遅くなってからビデオで怪しげな映画を見ていた。普段は堂々とビデオで映画鑑賞する親たちがコソコソすれば子供は気になるもので次の日にリビングに置いてあったその映画のパッケージをマジマジ見たのを覚えている。これはまだ俺には早い映画なんだとパッケージを見て、見てはいけない物を見たようで何か恥ずかしくなってコソコソしてしまった。それから十年以上が過ぎてふとレコードショップに足を運び適当にCDをあさっていた時にとてつもなくカッコいいジャケットが目に飛び込んだ、El Topoと書かれた向こうに黒い馬に傘をさして乗る人、そしていわゆるジャケ買いをした。俺は映画を全然見ないのでそれが何なのかは家で調べるまでわからなかった。アレハンドロ・ホドロフスキーって人の映画のサントラなんだなとわかり早速CDを聞きドンピシャ欲しかった感じだったので嬉しかった。そしてその勢いでレンタルビデオ屋に行きエルトポを借りた。映画もドンピシャに好きな映画だったので、そこからまたレコード屋に行き色々調べてる時にサンタ・サングレを見つけ驚いた!なんと両親があの時見ていたビデオのパッケージと同じだったのだ!やはり俺はあの人たちの子供なんだなと感心してしまった。監督の名前をアレハンドロ・ホドロフスキーと一度では読めなかったのを覚えている。

浅野忠信(俳優)

15歳くらいのころ、レンタルビデオ屋に、なんだか得体のしれないパッケージのビデオテープがありました。黒い男が傘をさして馬に乗り、その後ろに裸の子供、砂漠、向こうに青い空。不穏なのか、とぼけているのか、わからない雰囲気。『エル・トポ』でした。当時、サブカルチャー的なものを漁っていたいた自分は、それを手に取ります。そして家にかえってテープをデッキにいれます。

しょっぱなから頭が混乱しました。サブカルチャーなんて、どうでもよくなり、果てはカルチャーとか、そんなの、全部吹っ飛んでいきました。わけがわかりませんでした。どうしたらいいのか、恐れすら感じました。だから感想を持てなかった。それから、数年後に、また観ました。わからなかったけど、これは、なんだか凄いぞと思いました。30歳のころ観ました。大笑いをしました。

戌井昭人(作家・鉄割アルバトロスケット)

ホドロフスキーは自分にとって、血であり骨であり皮であり肉であり内臓であり、そして、細胞である。ミトコンドリアが細胞壁を撃抜くとき、予言者は核膜を舐めまわす!ゴルジ体が、核の檻に閉じ込められる時、自らの細胞は異形の分裂を成し遂げた!それが現在の僕だ!!!!!!!!!!!

つまりホドロフスキーは、僕にとって、紛れも無く祖先的創造の源であり、言い換えれば、種の起源…時として人はそれを神と呼ぶ!!!!!!!!!!!! 師に出会ったことによって自分は変異を遂げたのだ!!!!!!!!!!!! ああーーーーっ!!!!!!!!!!

ホドロフスキー初体験:第一次カルトフィルムブームの87年、にっかつ配給期の「エルトポ」!!!!!!!

宇川直宏(DOMMUNE)

新作『オンリー・ゴッド』が彼へのオマージュであることは間違いありません。ホドロフスキーは長年の友人ですが、彼の発想には昔から魅了されてきました。まだDVDがなかった80年代後半から90年代初頭にかけて、入手困難だったホドロフスキーの映画について、いろんな都市伝説がありました。アメリカに行けば買えるけど、コピーのコピーのそのまたコピーだとか。僕自身、彼の復帰作だった『サンタ・サングレ/聖なる血』はイギリスで出たVHSを買って1990年頃に観ていましたが、『エル・トポ』と『ホーリー・マウンテン』はずっと観ることができずにいました。日本から発売されたレーザーディスクを買って、ようやく初めてその2作を観ました。その時に、自分もいつかこんな映画を作りたいと思いました。そして、『オンリー・ゴッド』は彼から非常に影響を受けていると感じたのと、彼との友情に対して感謝を伝えたかったので、映画の最後に「アレハンドロ・ホドロフスキーに捧ぐ」とクレジットを入れました。ですからこの映画は、私から彼へのギフトです。

※webDICEインタビューより抜粋

ニコラス・ウィンディング・レフン(映画監督)

初めて観たのはいつかちょっと覚えてないですが、『ホーリー・マウンテン』を観ました。
何故か家の棚にビデオが。。。観てると脳味噌ドロドロです。病みつきです。もっと犯されたくなりました。おかげで中毒です。
期待すら失礼なので、自由なホドロフスキーを感じさせてください。

(DIR EN GREY/sukekiyo)

ホドロフスキーには二度驚かされた。フリーク総出演の哲学映画!そんな触れ込みで登場した『エル・トポ』は、思いがけず血みどろのかっこいいマカロニ・ウェスタンだった。だがそれはたしかにフリーク総出演のカラフルで血まみれの哲学映画でもあった。ホドロフスキーには二度驚かされた。一度目は思いがけないわかりやすさに。二度目は哲学的な難解さに。

柳下毅一郎(映画評論家・特殊翻訳家)

ホドロフスキーが主演の息子と『サンタ・サングレ』のプロモーションで来日した時、あるTV情報番組に一緒に出演したことがあり、合間に『砂の惑星/デューン』の感想を聞くと、一瞬、間をおいて、リンチはとてもいい監督だ、しかし、プロデューサーがいけなかったね、と気配り上手な答えが返ってきた。ところが、実際の反応はそんな上品なものではなかった!!!・・・ということが、「ホドロフスキーの『DUNE』」でわかった。歯に衣着せぬ、どころか牙を剥き咆哮するかのごとくで、声を上げて笑ってしまった。正直この上ない。すばらしい!『エル・トポ』がトンデモナイ映画との噂は、学生時代に伝わってきていた。<メキシコ映画祭>で上映された記憶(邦題『もぐら』)があるが観ていない。直後に季刊『フィルム』がシナリオを掲載、それを読み、興奮、『もぐら』を見逃したことを後悔した。映画館での体験は、渋谷パンテオンのファンタスティック映画祭特別上映の時であったような。脳髄破裂のシネマ・ハイ体験。

滝本誠(評論家)

ホドロフスキーは伝説だ。東京に出てきた頃、単館映画館に自分の居場所を求めていた。
わけもわからずニューシネマを貪り、インディー映画を好んでいた頃、風の噂で「エル・トポ」の名を聞いた。〝伝説の映画!〟〝「エル・トポ」を観ずに映画を語るな!〟〝キング・オブ・カルト!〟〝鬼才、ホドロフスキー!〟人から聞くエル・トポ列伝には、どこか未知の強豪と呼ばれるプロレスラーに似たロマンを感じた。しかし、エル・トポに出会うには簡単ではない。1990年代当時ホドロフスキー映画を観る手段がほとんど無かった。VHSでセル化されていることを知ると、土地土地でレンタルビデオ屋を覗いては探す日々。まるでホドロフスキーに恋したかのような気分で、車を走らせた。そして遂に、溝の口でエル・トポに出会った。ビデオデッキも興奮していた。だが、期待が大きければ大きいほど、失望に変わることは珍しくはない。僕には伝説の前田日明VSアンドレ・ザ・ジャイアントの免疫があったからこそ、心を落ち着け、冷静を装い、エル・トポを体感した。
伝説は真実だった。僕は本物の映画を知ってしまった。

須田剛一(ゲームデザイナー)

初めてのホドロフスキー映画は『エル・トポ』だった。大学に入ったばかりだったので80年代後半のこと。哲学科のクラスメイトがエルトポエルトポ言っていて、「ふーん」という感じでのこのこ一緒に観に行ったら、得体の知れない不安で複雑なものが、喉に刺さった魚の小骨のようにいやな感じで刺さってしまった。この不安で複雑なものをどうしたらいいのかと答を求めるように『ホーリー・マウンテン』を一人で劇場に観に行って、ある種気が済んだので少し遠ざかり、次の出逢いは2002年、ロンドンのICAで、上映後監督のトーク付きだった『サンタ・サングレ』になる。『サンタ・サングレ』には救いがあるので小骨はない。神聖なものと禍々しいものは紙一重だ。美しいものと醜悪なものは表裏一体だ。その時、監督が「(血が)ピューっピューっと飛んで」と少年のように目を輝かせながらニコニコととても楽しそうに語っている様子に、それからは安心してファンになりました。

楠本まき(漫画家)