『リュック・フェラーリ 七回“帰”上映会』

上映中~8/31(金)まで

『リュック・フェラーリ ーある抽象的リアリストの肖像』
『リュック・フェラーリ ーある抽象的リアリストの肖像』より
日時
上映中~8/31(金)まで
料金
1プログラム¥1200/3回券¥3000

ヴァージョンアップして帰ってくる、未だ破られざる記録/レコード


アップリンク特集上映史上、最大動員を誇るフェラーリ映画祭。
今回は「大いなるリハーサル」全作品日本語字幕入りを日本初公開!!!


フェラーリは逸脱する。

音楽史から、音楽から逸脱しながら、フェラーリは音楽を通じて音楽を超える何かをさがし求めた。この音楽を超える何かは、ときにはユーモアを交えてマジメ に演じられ、自らの逸脱ぶりさえも宙吊りにする身振りとして、鍵盤やシーケンサーの上を舞った。

そのフェラーリに、映画作家の時代があった。まるでユロ氏がきままに散歩へ出かけるかのようにして、映画作家の仲間入りをした彼は、ヴァレーズ、メシア ン、シェルヘン、シュトックハウゼン、セシル・テイラーといった音楽史の巨人たちを記録しながら、さらなる逸脱計画を進めていたのかもしれない。

ジャック・タチが演じた“ぼくの伯父さん”ユロ氏の脱線・逸脱を見ていると、いつもフェラーリのことを思い出すのは、だからだ。
だとすれば、音楽界のユロ氏に敬意をこめて、このささやかな映画祭を“プレイタイム”と呼ぼうか。

逸脱さえも嘲り笑うそのハートとユーモアは、本邦初公開のこれらフィルムにも息づいている。20世紀の音楽家たちの「大いなるリハーサル」をとらえたこの フィルムを、僕はパリの自宅で彼と共に見、今度は僕が彼のライブ・リハーサルをフィルムにおさめた(『リュック・フェラーリ―ある抽象的リアリストの肖 像』)。だから、音楽家フェラーリの形見である複数のフィルムを同時にかけ、彼にオマージュを捧げ、それを音楽ファンへのプレゼントとしたい。二つの世紀 を跨いでスクリーンに映し出される音楽家の情景はどれも、マジメそのものでありながら、音楽ならではの遊び時間(プレイタイム)に満ちていて、言葉を介さ なくとも、音でもって言葉をたちきってくれる筈だ。
そして今、あなたたちも、これらのフィルムを聴くことが出来る。もちろん、リュック・フェラーリと共に。


総合プロデューサー 宮岡秀行(スタジオ・マラパルテ/映画作家)



☆「大いなるリハーサル」シリーズ 
メシアン、ヴァレーズ、シュトックハウゼン、ヘルマン・シェルヘ ン、セシル・テイラーの最もクールな瞬間を記録した、リュック・フェラーリとジェラール・パトリスとの共同制作による5つの音楽ドキュメンタリー。

☆リュック・フェラーリ
パリ生まれの作曲家。50年代後半よりミュージック・コンクレートの創作に本格的に関わり始めるが、やがて<逸話的音楽>という独自の方向を見出し、60年代末にはその理念が最も端的な形で結晶した代表作『ブレスク・リアン 第1番』を生み出す。以後2005年8月22日に亡くなるまで旺盛な創作力を示し続けた。晩年にはCDJによる即興的なスタイルで自ら若い音楽家たちとのコラボレーションにも積極的に関わった。




◆上映作品


『リュック・フェラーリ ―ある抽象的リアリストの肖像』

(2005/46分/ヴィデオ作品)
音楽:リュック・フェラーリ『原リズム(初演)』
共演:eRikm 構成:宮岡秀行

フェラーリ75歳の誕生日に集う友人たちとの一夜から、夫婦生活と創作のゆるやかな葛藤を描きつつ、不世出な音楽家の最期の日々を捉える。その「晩年様式」は、リズムの探求と響きのアマルガムへと向かい、いつしか幼年期のポートレートへと永劫回帰する。






「大いなるリハーサル」シリーズ

『メシアンの「われ死者の復活を待ち望む」』

(1965/45分/モノクロ)
出演:メシアン、セルジュ・ドボ(指揮)ほか

アンドレ・マルローが2回の世界大戦の死者を弔うためにメシアンに委 嘱した同作品のリハーサル風景を撮ったもの。場所はシャルトル大聖堂であり、翌日の1965年6月20日にはドゴール将軍列席で演奏会が催される予定に なっていた(この演奏会そのものは撮影されていない)。指揮はセルジュ・ボド、オーケストラはストラスブール管弦楽団とストラスブール・パーカッション・ グループである。作曲者のメシアン立ち会いのもとでのリハーサルであり、彼自身の解説も含め、作品創造の場に居合わせているかのようだ





「大いなるリハーサル」シリーズ

『ヴァレーズ礼賛』

(1966/60分/モノクロ)
出演:クセナキス、メシアン、ブーレーズ、マルセル・デュシャンほか

ヴァレーズの急逝直後、彼を取り巻く様々な作曲家・音楽家・芸術家達の証言と、ヴァレーズの二つの作品、『電離』(シモノヴィッチ指揮)と『砂漠』(マデルナ指揮) の演奏風景を撮ったもの。証言するのは、クセナキスから始まり、メシアン、シェルヘン、ジョリヴェ、シェフェール、ブーレーズ、フェルナン・ウエレット。 その間に2作品の練習・演奏風景が挟まる。ヴァレーズ本人の声も時折聞かれる。最後はマルセル・デュシャンと、彼にインタヴューするのは……フェラーリで ある。





「大いなるリハーサル」シリーズ

『シュトックハウゼンの「モメンテ(瞬間)」』

(1966/45分/モノクロ)
出演:シュトックハウゼン、マルティナ・アロヨ(ソプラノ)ほか

ケルンにおける『モメンテ』のリハーサル。作曲者自身の指揮、西ドイツ放送管弦楽団・合唱団による。その合間にシュトックハウゼン自身が作品を解説し、自 らを語り、インタヴューに答えながら、歩いている。その強靭な精神力と周囲の意見を気にしないカリスマ性が映像に漂う。フェラーリが「『大いなるリハーサ ル』の中で一番好きだ」と言っていた作品。また『モメンテ』は、シュトックハウゼン自身によれば、彼が「熱烈に恋をしている時に」書かれ、その「女性、と いうより少女に」捧げられている。 一人の男が人生を音楽に捧げる時。





「大いなるリハーサル」シリーズ

『ヘルマン・シェルヘンの肖像』

(1966/60分/モノクロ)
出演:シェルヘン、シェルヘン夫人、子供たちほか

シェルヘンがパリ現代音楽器楽アンサンブルを指揮して、自らが編曲したバッハ『フーガの技法』をリハーサルしている。そこに、夫人による生前の彼について の証言が挟まり、彼の家(グラヴェザーノと思われる)そして子供達が映し出される。シェルヘンはシェーンベルグ『月に憑かれたピエロ』を始め数々の現代音 楽の初演をした指揮者でもあり、同時に哲学者、音響学者でもあった。その音楽に捧げた一生が夫人の視点で活写される合間に、シェルヘンの老いてなおかくしゃくとしたリハーサル風景がその人物を強く印象づける。





「大いなるリハーサル」シリーズ

『パリのセシル・テイラー 』

(1968/45分)
出演:セシル・テイラー、ジミー・ライオンズ、アンドリュー・シリル、アラン・シルヴァ

既に当時比類なきインプロヴァイザーであったセシル・テイラーの、パリの一室でのカルテットのリハーサル風景にインタビュー映像が挿入されてゆく。「フ リー・ジャズの発見」という副題が示しているように、この企画自体に以前から即興に対する関心を作曲にも反映させていたフェラーリの関心が見て取れる。こ うしてみると、同時期の『ウント・ゾー・ヴァイター』や『ソシエテII』などのフェラーリの器楽作品に聞かれる暴力的なサウンド指向には、同時代の前衛音楽だけでなくフリージャズからの影響も垣間見えることに気づく。





『砂漠』

(1994/26分/ヴィデオ作品)
音楽:エドガー・ヴァレーズ 音楽監督:フランク・ザッパ 監督:ビル・ヴィオラ

私にとって砂漠とは、砂・海・山・雪・宇宙空間・無人の都市の街路といった物理的な砂漠だけでなく……内面の遠く、顕微鏡も届かないような独りだけの、完全に孤独な場所のことである。(エドガー・ヴァレーズ)






『one plus one 2』

(2005/47分/ヴィデオ作品) ※字幕なし
音楽・出演:デレク・ベイリー
監督:アンダース・エドストローム、カーティス・ウィンター

フリー・インプロヴィゼーションの賢人デレク・ベイリーの変わらぬ日常を追う。表現と日常が反転し、瞬時に去る「即興」を掴まえようとするベイリーの世界を、アンダースの透徹したカメラと、カーティスの微細なマイクがつぶさに捉えたシネエッセイ。






『精神の声 ・ 第一部』

(1995/38分/ヴィデオ作品)
音楽:モーツァルト、メシアン、ベートーヴェン
監督・ナレーション:アレクサンドル・ソクーロフ

マイナス50度の北極で撮られた冬の平原と、監督自らがコメントするモーツァルトの生涯が鋭い対照を成す。神と人々との間をとりもつメシアンと、自然と不変的な人の心を謳うベートーヴェンの偏向をタイムマシンで繋ぐこの「序曲」を、ソクーロフは独立した一篇として捉えている。






『バランスから遠く離れて』

(1978/30分/フィルム作品・ヴィデオ上映) ※字幕なし
音楽:リュック・フェラーリ 監督:アラン・ブド

熱力学の基本概念を紹介した科学映画。生物に類似した振る舞いを示すことができるのは、複雑なBR反応、化学時計、生態学的揺動など、諸化学反応が空間内での不均質を生じさせるような事例である。フェラーリのミュージック・コンクレートが、人間の耳では知覚できなかった音響を谺(こだま)させる。






『オストラル ー 音・記憶・肉体』

(2009/22分/ヴィデオ作品)
音楽: eRikm & アンサンブル・ラボリントゥス 監督:eRikm

アルゼンチンとチリの国境線を越えて広がる光景をヴィデオ・エレクトロニクスで再構成した映像に重ねて、演奏家が出すノイズも含めたあらゆる音、<演奏家の自己鍛錬の原型>を探ることにより、個人の記憶が集合的な記憶として呼び覚まされる。





『ラ・モルト・ルージュ』

(2006/32分/ヴィデオ作品) ※日本語字幕なし/英字幕つき
音楽:アルヴォ・ベルト
監督・脚本・ナレーション:ビクトル・エリセ

エリセが幼年期の映画初体験を綴ったヴィデオエッセイ。姉に連れられて初めて見た映画はロイ・ウィリアム・ニールの『緋色の爪』だった。その映画の中で「郵便配達が来る』場面の恐怖感と、スペイン戦争の記憶とが交錯し、アルヴォ・ベルトの音楽がエリセの原風景を呼び覚ます。






『おお至高の光』

(2009/17分/ヴィデオ作品)
音楽:エドガー・ヴァレーズ(「砂漠(初演)」)
指揮:ヘルマン・シェルヘン 監督:ジャン=マリー・ストローブ

ヘルマン・シェルヘンが指揮し、音楽史上最大のスキャンダルと呼ばれた『砂漠』初演のブーイングが轟く。ダンテ『神曲』全体の終曲である「天国篇 三十三曲」を、まるでマラルメを朗読したダニエル・ユイレの如く臥座で、独り男が朗読する、至高の愛。


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