映画『美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう/足立正生』

この映画について

この74分の映画の旅に参加する条件は、「映像とサウンドと言葉にただ感性を委ねること」それだけです。

政治的な前衛映画監督たちを被写体にしたドキュメンタリー・シリーズ『美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう』の第一弾となる本作は、1960年代に若松孝二とともに鮮烈な映画を次々と世に生み出し、若手芸術家の筆頭として注目されるも、やがて革命に身を投じた足立正生のポートレートである。

フィリップ・グランドリュー監督が2008年の初来日時に足立正生と対面し、意気投合したことが制作のきっかけになった。本シリーズは、かつてフランスで放送されていたアンドレ・S・ラバルトとジャニーヌ・バザンによる伝説的TVドキュメンタリー『われらの時代のシネアストたち』へのオマージュでもある。

タイトルの『美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう』は、ドストエフスキーの「美は世界を救う」という言葉と、2006年に足立正生が35年ぶりに監督した『幽閉者 テロリスト』の中で、主人公Mが軍事訓練で見た美しい高原について、「その美しさのせいで俺たちの決断も一段と強まったのかもしれない。なにもかもが、戦いに向かうには、静かで美しすぎる風景だった」と語るセリフから取られている。

美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう/足立正生 美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう/足立正生

フィリップ・グランドリュー

本シリーズは、目録を作ることが目的ではない。全体の運動を司るのは、まさにその逆の事柄だ。つまり、重力から解き放たれた自由な身振りである。それによって一人の映像作家が、別の映像作家の作品群の証人となり、彼の美学的、倫理的、政治的な社会参加や、世界との闘い、彼自身との闘いを明らかにする。映画こそがこの企画の中心である。そう、映画と友情だ。

よって本シリーズの各作品は、それぞれの必然性に支えられながら、それ単体で独自の対象として思考され、制作され、撮影される。シリーズ全体を貫くのは、映画の力を変容させることへの関心である。その関心において、映画と人生は、あまりに強く影響を与え合っている。

フィリップ・グランドリュー フィリップ・グランドリュー プロフィール詳細

足立正生

"美"という、美しいとか醜いという問題は、抽象的に存在するわけではない。それを感じる人間存在の感情・感性が決めるわけです。

フィリップの場合は、自分がカメラを頭に結びつけたような仕方でせまって撮る。彼が他のカメラマンを連れてきて、照明係やほかのスタッフがいて通訳がいたらあんなものは作れない。

つまり現実の存在として私はいるわけだけど、その存在を自分の感性の中身にするということを徹底的にやった。映画論的にもそれは映像言語という言い方ができるのだが、言語ではないということを一貫して主張しているのが彼の映画です。

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