映画『美輪明宏ドキュメンタリー ~黒蜥蜴を探して~』公式サイト

COLUMN コラム

美輪観世音の生得の華麗さ─瀬戸内寂聴(作家・僧侶)

 『美輪明宏ドキュメンタリー ~黒蜥蜴を探して~』という映画を観た。
 『黒蜥蜴』の美輪さんの舞台は、何度も観たことがあるが、いつでも美輪さんのこの世ならぬ妖艶な美しさに、廻りの男優たちは負けてしまうので、美輪さんの独り舞台のようなのが面白いし小気味がよかった。男優たちが負けていると感じる時、私の中での美輪さんは完璧な女優になっていた。
 映画の題から想像して、『黒蜥蜴』が中心の話かと思っていたら、それはとんでもない早とちりで、何と映し出される映像は、美輪さんの子供時代からの写真などから始まり、現在の美輪明宏が完成するまでの長い歳月に於ける美輪さんの凄まじい努力と挑戦と好運の糸が縫いあげた見事な生涯の歴史物語であった。どの年頃のどの場面の美輪さんも輝くように美しく、今様光源氏の名をあげるならこの人をおいて他にはいないと、私は幾度も唾をのみこんで観とれていた。
 美輪さんのふるさと長崎から単身上京して以来長いこれまでの生涯に係わった有縁の人々の豪華絢爛さにも、今更ながら目を見張らされるが、彼らが美輪さんを語る時の、いきなり柔和になる表情が面白かった。それぞれの道では、尊大だとか、気難しいとか、意地悪だとかいわれている巨匠たちが誰も彼も揃って、優しい表情になるのが、美輪さんという奇怪な人の呪術にかかったようでおかしかった。
 三島由紀夫、寺山修司、深作欣二、北野武、横尾忠則など、次々と画面に現れる天才たちの顔と声に接するのも贅沢な目の保養だったが、何といっても画面一杯に拡がる美輪明宏のこの世ならぬ美しさには今更ながら圧倒されてしまった。舞台でよく見て知っているつもりの美輪さんだが、裸で湯につかっている肩から胸の女そのものの美しさ、妖しさには、ど肝を抜かれてしまった。
 まっ白になった髪を、まっ黄色に染めた現在の美輪さんが、数々の衣装に包まれて艶然と現われ、自分の意見を淡々と語る時は、私はただうっとりして、言葉なんか聞いていなくて、その美しさだけに放心していた。
 画面の中に出てくる人との交渉や、内輪な話を、私はたいてい美輪さんの自身の口から聞かされて識っている。
 ある時期から、私は美輪さんと仲よしになっていて、現在の黄色の髪に三宅一生の服を着た美輪さんが、私が住職をつとめていた東北の天台寺へ法話に来てくれたことさえあった。
 その時私は境内を埋め尽くしている数千の拝聴者に向かって、紹介したものだった。
「皆さん喜んで下さい、今日は本ものの観音様が、皆さんに法話をして下さいます。観音様には性がありません。男でも女でもない方だと、日頃私が話しているでしょう。さあ、お迎えして下さい。男でも女でもない、この世で一番美しい仏さま、美輪観音さま御出現!」
 美輪さんは観音の慈悲を顔一杯にたたえた神々しいい微笑を浮べて登場して下さった。万雷の拍手が興ったのは当然である。
 美輪さんは法華経の信者で、そのお経の声はすばらしく力強く美しい。
 この映画の中には、美輪さんのそうしたプライベートな面が一切出ていないのが惜しい。美輪さんは私と同じ5月15日生まれの誕生日である。そんな偶然を私は子供のように喜ぶほど美輪さんのファンである。「奇縁まんだら」という知人のことを書いたエッセイに美輪さんがないのは、この本に書いた人はすべて故人ばかりだからである。私はもう91歳だから、美輪さんや横尾さんや美輪さんの若い友人の平野啓一郎さんのことを「奇縁まんだら」に書けないまま、先に逝くのがちょっと残念な気がする。でも生きている間に、こんな豪華な美輪さんの一生の映画を見せてもらって、嬉しい。幸せである。

黒蜥蜴の奥の無償の愛─松岡正剛(編集工学研究所所長 )

これまで美輪さんのドキュメンタリーやインタヴュー番組は何本も見てきたが、この『黒蜥蜴を探して』には万感胸詰まるものがあった。美輪明宏の表現人生のすべてを賭しての比類ない意思が多彩に浮き出るように構成編集されていたからだ。
 ここには、ジャン・コクトーからの、出雲のお国からの、すべての働く者からの、寺山修司からの、ファム・ファタールからの、子供を失った母たちからの、エディット・ピアフからの、卒塔婆小町からの、大事な試合に敗れたアスリートからの、竹久夢二や中原淳一の絵の中からの、性の矛盾に苛まれる者からの、歌を忘れたカナリヤからの、それぞれの呼びかけに一身に応えようとしてきた美輪明宏の、その愛情に満ちた風姿花伝が描かれている。
 その風姿花伝は、たしかに黒蜥蜴の奥から放たれてきたものだった。1968年、東横劇場の『黒蜥蜴』で、当時は丸山明宏だった美輪さんが初めて緑川夫人を演じた。この年はさまざまな意味で日本のターニングポイントに当たっていて、さしもの波状的だったカウンターカルチャーも、ここで頂点を折り返したのである。このときの舞台には、観客を美の劇薬によって官能の彼方に連れ去るような力が漲っていた。三島由紀夫が人形役で出演していた。

それから15年後の1993年のこと、前年に長期にわたった体調不良をついに回復させた美輪さんは、ふたたび黒蜥蜴となって不死鳥のごとく蘇った。このときの緑川夫人からは、今度は劇薬に代わって「無償の愛」が放たれていた。
以来、美輪さんの舞台には、芝居であれコンサートであれ、いつも「無償の愛」が溢れるようになった。そのきっかけは思い返せば黒蜥蜴の舞台にあったのだ。 かつて二人で念彼観音力の話をしていたとき、美輪さんが「わたくしね、いつだって辻説法に出る準備ができているの」とぽつんと言ったことがある。そうだろうと確信できた。しかし実は、美輪さんはずっと辻説法をしつづけてきた人なのだ。日本人の多くが、そしていまやフランス人の多くも、そのような美輪明宏を存在の奇蹟としてずっと共有していたいのだ。

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