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Voices from GAZA

エピソード1

アハマドの物語

撮影日: 2025年5月21日 
撮影場所: ガザ・イスラーム大学周辺
ご視聴はこちら
劇場公開版
(50分)
配信短縮版
(22分)
視聴料はガザでの映像制作費に使用させていただきます。

ストーリー

アハマド・アル=ガルバンは、ガザ北部ベイト・ラヒアに住む16歳の体操選手でありサーカスパフォーマーです。彼には双子の兄弟モハメドがいて、ともに体操への情熱を分かち合っていました。

2023年10月にガザへの戦争が始まると、アハマドと家族は南部へ避難しました。2025年1月に停戦が発表されると帰還しましたが、自宅を含むガザ北部の大部分は廃墟となっていました。家族は破壊された自宅の瓦礫の中に留まることにしました。

2025年3月、停戦は崩壊し、イスラエル軍が北部への新たな攻撃を開始しました。3月22日、多くの人々と同様にその地域からの避難を試み、叔父の荷物を運ぶのを手伝っていた最中に、彼らはイスラエルの砲撃に直撃されました。双子の兄弟ムハンマドと叔父、そして6歳のいとこが命を落としました。アハマドは一命を取り留めましたが、両脚と指を失うなど、壊滅的な重傷を負いました。

現在、彼は医療や食料の不足に苦しんでいます。病院を退院した後は、かつてガザ最大の大学だった場所の跡地に設置されたテントで生活しています。そこには数百人の避難民が身を寄せています。
それでも彼は希望を失っていません。回復し、義足で再び歩けるようになること、そして弟とともに新たなサーカス団を立ち上げることを夢見ています。また、ガザを再建し、故郷である北部に戻ることも願っています。

彼はこう語ります。
「僕はとても希望を持っている。戦争は終わる、そしてガザは前よりももっと美しくなって戻ってくる。前は、僕はガザを離れたいと思っていた。でも、トランプがすべてのガザの人を追い出すと言ったので、僕らはガザにとどまり続ける」

登場人物

  • アハマド・アル=ガルバン

    アハマド・アル=ガルバン

  • アムナ

    母:アムナ

  • アブドラ

    父:アブドラ

  • クサイ

    弟:クサイ

  • アラー

    姉:アラー

  • 友人:クサイ

    友人:クサイ

撮影場所

エピソード1は、アハマドたち家族が現在生活をしている、ガザ・イスラーム大学跡地にあるキャンプにて今年5月21日に撮影されました。
ガザ・イスラーム大学はガザ最大の大学として知られていましたが、2023年10月9日にイスラエル軍の爆撃により大破。現在はその跡地にキャンプが設置され、数百人の避難民が生活しています。
大学の公式Youtubeチャンネルでは、破壊される前後のキャンパスの様子を比較した動画が公開されています。

Our determination to rebuild is rock solid and our pursuit of excellence is boundless.

アハマド家族の避難の道のり

2023年10月、戦闘激化によりアハマド家族は故郷であるガザ北部ベイト・ラヒアを離れ、南部のラファへ避難しました。
2025年1月の停戦発表後、家族は北部へ戻りましたが、3月に再び攻撃を受け、現在はガザ・イスラーム大学跡地のテントで暮らしています。

地図

ガザでの日常

撮影地で見られた暮らしと環境を三つの視点から紹介します。

ドローン

劇中では、キャンプ上空を飛行するドローンの音が印象的だ。ガザ地区ではイスラエル軍のドローンがほぼ常時空を飛び続けており、住民の生活に深刻な影響を及ぼしている。 特に目立つのが、低空を飛ぶクアッドコプター型の小型ドローンで、高度は10〜100メートルと低く、頭上すぐでホバリングすることもある。プロペラの音は「ブーン」「ジジジ」と特徴的で、住民はこの音を「zanana(ザナナ)」と呼ぶ。
この音は昼夜問わず続き、睡眠を妨げ、特に子どもは「いつ何が落ちてくるかわからない」と怯える。不安障害やPTSD、頭痛などの症状も報告されており、精神的兵器としての側面を持つ存在となっている。

食事

一部の難民キャンプには、共有の炊事場が設けられており、住民たちは配給された粉ミルクや豆を持ち寄って簡易的な料理を作っている。火にかけられた大鍋には、白い液体状の食事(粉ミルクを溶かした粥やスープ)が見られる。味付けは限られているが、少しでも栄養を確保しようという工夫が凝らされている。劇中でアハマドの母が炊事場で調理しているものは、この粉ミルクである。
劇中では、アイスクリームを販売する屋台が登場し、アハマドたちが食べる場面がある。サウワーフ監督によると、現在、アイスクリーム1つの価格は約10シェケル(約430円)で、侵攻前の1シェケルと比較して大きく高騰している。
この店舗のインスタグラムのアカウントでは、かつての店内の様子を見ることができる。

ハウスライトカフェ
https://www.instagram.com/house.light_caffe/

医療

攻撃を受けたアハマドたちが搬送されたのは、インドネシア病院であった。
インドネシアの人道NGO、Medical Emergency Rescue Committee(MER-C)によって2016年に開院された同病院は、約100床を持ち、北部ガザで最も重要な医療施設のひとつとして機能していた。しかし、5月18日には病院周辺で発砲やドローン攻撃があり、集中治療室や発電機、水供給設備も損傷を受けた。
国連人道問題調整事務所(OCHA)は、翌19日に162床すべてが使用不能となり、事実上の機能停止状態にあると報告。世界保健機関(WHO)も、病院への安全なアクセスができず、支援活動を断念したと発表している。インドネシア病院の機能喪失は、北ガザにおける医療崩壊を象徴する出来事であり、多くの負傷者が治療を受けられないまま命を落とす現実が続いている。