風の馬


映画の中で、尼僧ツェリンがダライ・ラマの写真所持の罪で尋問を受けたとき、「写真が奪われても、(ダライ・ラマは)心からは消えません」と答えるシーンがある。このシーン、既視感がある。

2007年7月。外国メディアが自由に足を踏み入れる事の出来ないチベット自治区に、私は中国外交部(外務省)主催のプレスツアーに参加する形で記者として初めて訪れた。自治区第2の都市シガツェから150キロ南西のサキャ寺に行ったときのこと。住職が私たち外国人記者を前に会見を行った。チベット仏教4派のひとつサキャ派の総本山のこの寺は、文化大革命で建造物のほとんどが破壊されたが、ちょうど当局から莫大な金額の支援を受けて修復が進んでいた。記者会見は本来、共産党がいかに文化財修復に尽力しているかをチベット僧の口から宣伝させるためのものだった。

だが会見の後半、ドイツ人記者の質問で様相が変わった。「ダライ・ラマ14世に帰ってきて欲しいですか」。これは外国人記者がチベットで必ずする質問だが、普通は、ダライ・ラマ14世を否定する中国当局から教えられた模範解答を答える。「ダライ・ラマが政治活動と祖国分裂活動を完全に停止すれば、われわれは受け入れる用意がある」といったぐあいに。実際、ラサやシガツェの寺院関係者が行った記者会見での答えは全部そうだった。しかしサキャ寺住職は、素直に「はい」と答えた。記者の方が驚いて「もう一度聞かせてください」と問うと、住職は「ダライ・ラマ14世に出来るだけ早く帰ってきてほしいです」とはっきり答えた。さらに別の記者が聞く。「ダライ・ラマは宗教領袖だと思いますか」。「はい、その通りです」…。予想外の住職の返答に、顔色を変えたお目付役の外交部職員がマイクを奪い「ダライ・ラマ14世は宗教領袖であるまえに、政治屋であり祖国統一を阻む分裂主義者です。ダライ・ラマが政治活動を完全に停止し、分裂主義を放棄すれば、という前提ですよね」と牽制をかけた。住職も顔色を変えて頷いたが、続けて私が「あなたはダライ・ラマ14世を本当に分裂主義者だと信じているのですか」と質問すると、住職は何か言いたげに口をあけたものの、押し黙ってしまった。

この会見後、住職のまわりに記者が集まり口々にたずねた。「あんな答え方をして大丈夫なのか」。すると住職は「たぶん、私と私の周囲の人に面倒がふりかかるでしょう。しかし、ウソはつけない」と語ったのだった。チベット仏教の五戒(不殺生・不偸盗・不妄語・不邪婬・不飲酒)の教えに従う僧侶はウソ(妄語)がつけない。公安警察の尋問に、正直にダライ・ラマへの信仰を語ってしまうツェリンのように。

深い信仰を持つ人々は心を偽れない。ただそれだけなのだが、信仰を持たぬ中国共産党にとってはそれがふてぶてしく頑迷な抵抗と映る。それがすべてダライ・ラマ14世の存在のせいなのだとして、耳や目を覆いたくなるような苛烈な弾圧を加えて、彼らの心からダライ・ラマを追い出そうとしてきた。映画は1979年に抗議ビラ一枚配っただけで処刑された祖父と97年、その孫にあたる尼僧ペマの拷問死に絡む物語が描かれているが、同じような物語が1959年のダライ・ラマ14世亡命以降、いったい何度繰り返されてきたのだろう。

昨年3月14日にラサで発生した騒乱は、そういった弾圧の果てにたまりにたまったチベット族の怒りも〝燃料〟となったことは間違いない。あの騒乱のさなか、普段は「私は漢族とともに生きる」と冷静だったラサ在住のチベット族の友人は「中国政府の言っていることはウソばかりだ!」と悲鳴のようなメールを送ってきた。中国中央テレビは、ダライ・ラマに扇動された凶暴なチベット族によって無辜の漢族市民が殺されたと報道していが、暴動とは無関係の多くのチベット族の青年や僧侶が発砲を受け犠牲となった、と訴えた。その遺体は家族のもとに返されることもなかったという。

事件は甘粛、青海、四川などのチベット族自治州にも広がり、その犠牲者の正確な数は把握されていない。事件後に言われなき罪で逮捕され拷問にあった人もいた。青海省の知人から聞いた話では、ある女性は、インドに亡命した家族に安否を確認する国際電話をしただけで、国家機密漏洩罪で逮捕され、映画の中でペマが受けたようなおぞましい拷問を受けたという。事件後に、全国の役所や大学や企業に勤務するチベット族は厳しい自己批判を迫られた。ウソのヘタな大勢のチベット族が仕事を解雇され、制裁を受けた。あるいは制裁の厳しさと経済的豊かさというアメの前に屈し、同じチベット族を密告するものも現れ始めた。「チベット族の最悪の敵はチベット族」「チベット族だけ文化大革命時代に取り残されている」。そんな声も聞く。状況は映画が作られた10年前から変わっていない、いやむしろもっとひどくなっている。

昨年、北京五輪聖火リレーのおかげもあって、日本を含む国際社会はチベット問題に注目した。北京五輪を成功裏に終えるため中国もダライ・ラマ14世との対話を再開させるなど妥協姿勢も見せた。しかし、五輪が終わると、国際社会のチベット問題への関心も薄れつつある。しかも3月10日のチベット民族蜂起(チベット動乱)50周年という敏感な季節を迎え、地域のチベット族への監視や締め付けぶりは「何がおきてもおかしくない」というほどの緊張感をはらんでいる。

映画の主人公の歌姫・ドルカとドアンピンのように、個人であれば漢族とチベット族は恋人にもなれる。チベット問題を生んでいるのは人ではなくて政治、体制だ。しかし政治や体制が生む悲劇を食い止めるのは人しかいない。この映画をみて、何がしか胸に迫るものを感じたら、どうかその心を偽らず視線をチベットに注いでほしい。今なお厳しいチベットの現実に歯止めをかけるのは、そういう一人ひとりの心だと思うから。