解説2

他山の石?

市川宏伸(都立梅ヶ丘病院院長)

はじめに

この映画を見て感じるのは、すばらしい姉妹愛と安住の地を求められた安心感である。もう一つは、自閉症と言うものに対する漠然と感じる、気だるさあるいは空しさである。場所によって、時代によって状況が違うのは当然かもしれないが、日本で自閉症(広汎性発達障害)と係わっていた者としての率直な感情ではないであろうか。現在の日本における自閉症の現状について考えてみる。

自閉症をどう考えるか

自閉症をどう考えるかについては歴史的経過がある。かっては、統合失調症の中に位置づけられ、一番低年齢に発症したものと考えられていた。1943年に、レオ・カナーが「自閉症」を報告して以来、知的障害を伴う自閉症が、自閉症の主流と考えられてきた。この報告のほとんどは、現在も正しいと考えられている。カナーは否定しているが、初期の段階で「保護者は知的水準が高く、冷たくて、強迫的である」と伝えられた。その後約30年にわたって「自閉症は保護者の愛情がないから生じる」(心因論)と誤解され、「自閉症児には、愛情を与えればよくなる」と考えられた。日本でも心因論が風靡して、愛情だけを与えられた自閉症児は、食事も排泄も衣服の着脱もできない大人になった。その後、大規模な統計的研究が行われ、「自閉症とそうでない子どもの保護者を比較しても、その育て方には違いがない」とされ、心因論は否定された。現在は「何らかの脳の機能的不全が根底にあり、これが原因でさまざまな因子が関与して自閉症の特性が表れる」と考えられている。現在脳画像などによる詳細な研究が進んでいる段階である。

また、1944年にハンス・アスペルガーが報告した自閉性精神病質は、現在の知的障害を伴わない自閉症につながっている。1970年代以降、カナーの報告した自閉症も、アスペルガーの報告した自閉性精神病質も実は連続したものと考える「自閉症スペクトラム(連続体)」という考え方が欧州の研究者を中心に出された。最近、児童青年精神科の医療現場を訪れる自閉症スペクトラム児は、知的障害のない者がはるかに多くなっている。世界的な精神科の基準で、国内でも使用されている診断基準はICD(世界保健機関)とDSM(米国精神医学会)の二種類がある。いずれも広汎性発達障害というカテゴリーがあり、この中に小児自閉症やアスペルガー症候群として含まれている。

早期の気づきと適切な介入

これらの診断基準では、3歳までに何らかの「対人関係」、「コミュニケーション」、「遊び」における発達上の偏りが存在していることになっている。自閉症特有の、「視線回避」、「呼名回避」、「相互性の欠如」、「独特の言語」、「こだわり」、「常同行動」などは就学前に華々しいことになっているが、個人によりその種類・程度は異なっているため、見逃されることもある。最近はなるべく早く気付いて、適切な対応を行うことが勧められている。このために、乳幼児健診、保育園や幼稚園における早期の気付きの必要性が指摘されている。同時に、必要に応じた専門機関の紹介、療育の開始が重要である。10年ほどの間隔で比較すると、症状の華々しい自閉症児は減少している印象があり、これらのシステムが徐々に機能を発揮しつつあると考えられる。

自閉症の特性に合った対応

かつては、「自閉症は重篤な疾患であり、どうやってこれを治すか」という考え方が主流であった。この考え方に従えば、「これをのめば自閉症が治る」という特効薬の登場を心待ちにすることになる。「ワクチンの摂取で自閉症が発症した」、「水銀のために自閉症になった」、「クルミを食べれば自閉症が治る」などのいくつもの考え方が登場し、やがて消えていった。最近は自閉症児の症状を、独特の特性と考え、「持っている社会不適応の部分を出来るだけ軽減しよう」とする考え方が中心である。 「自閉症が連続体である」という考え方に立てば、健常とされる子どもと自閉症とされる子どもの境目ははっきりせず、時にはどちらかに移行する可能性も秘めている。自閉症の症状もさまざまで、その程度も幅広いことを前提にすれば、年齢に合った、その程度に見合った適切な対応が必要になる。例えば、対応の変化が苦手な子どもが多く、1日で言えば、家庭や学校で異なる対応は望ましくない。同様に、家庭、保育園・幼稚園、小学校、中学校など、ライフサイクルで異なった対応されることが苦手である。逆に、望ましい環境で、適切な対応をとれれば、成人してから独特のユニークな発想で、偉大な業績を残す場合もあると考えられる。「ノーベル賞級の偉大な研究をする学者は、多少自閉症的要素を持つ」という話もあり、「自閉症をどれだけ治せるか」から「自閉症の特性をどれだけ活かせるか」という考え方に変わってきている。

必要時の一時的な専門医療

自閉症の子どもの症状はさまざまであり、環境や対応によってその様態は異なってくる。結果として、一部の子どもは思春期以降になり、さまざまな症状を呈してくることがある。知的障害のある場合は、「極端なこだわり」、「自傷行為」、「乱暴行為」、「パニック」などが強まることがある。環境や対応を変えてみて、大きな変化が見られない場合は、症状に対して必要最低限の薬物治療を行うことがある。知的障害のない場合は、思春期になり統合失調症様の症状(妄想や幻覚)や気分障害様の症状(極端な気分の変動)が生じることも知られている。自閉症に詳しい医療者であれば、これらの症状に対応することは難しいことではない。しかし、自閉症の存在に気付かなければ、誤って統合失調症や気分障害の治療を開始してしまうことになる。自閉症などの発達障害の治療を専門にしている医師は、子どもを対象とする精神科医と発達障害に興味を持つ小児神経科医やアレルギー科医などである。日本でも専門の医師の数は少なく、医療施設も限られているため、初診までの日数が長いのが現状である。厚生労働省は、「子どもの心の診療医」を増やすために、検討会を立ち上げて医師の養成に取り組んでいる。

行動上の問題、精神症状が激しい場合は入院の適用になる場合もあるが、自閉症の根本治療は難しいため、生じている症状や行動の軽減が目標となる。したがって、入院は長くとも数ヶ月として、元の環境に戻ることを目指すべきである。このための子どもの精神科病床は極めて少ないのが現状である。成人の精神科病床は沢山あるものの、多くは統合失調症などを対象としており、発達障害者用の病床はほとんど機能していない。

おわりに

この映画を見て感じる気だるさや空しさは、上述した日本の自閉症治療の現状が頭にあるからであろう。「どうしたら低年齢で気付けただろうか?」、「自閉症はどうとらえていたのだろうか?」、「この対応が最善だったのだろうか?」、「どうして5年も入院が必要だったのだろうか?」などさまざまな考えが頭の中を巡ってしまった。




≫解説1:佐藤久理子(パリ在住、映画ジャーナリスト)    |    ≫解説2:太田康夫(朝日新聞大阪本社生活文化グループ記者)