解説3

連載「発達障害とともに」の取材で見えるもの / 記者として、親として

太田康夫(朝日新聞大阪本社生活文化グループ記者)

私の小学生の長男は、広汎性発達障害だ。
独特の強いこだわりがあり、他人とスムーズなコミュニケーションを取りにくい。意に添わないことがあったときなど、パニックを起こすこともある。

3年前、専門医に障害を指摘されたが、では今後、将来に向けてどうすればいいのか、どのような支援があるのか、という基本的な情報が、なかなか得られなかった。まるで、家族で筏に乗せられ、大海原に放り出されたような、不安と焦りを感じた。

休日に発達障害の勉強会や講演会にでかけた。どこの会場もいっぱいだった。大阪や京都、滋賀県内で開かれた講演会に、北海道や九州から駆けつけてくる人もいた。私と同じような手探り状態のもどかしさを抱えながら、より詳しい情報を求めて足を運んでいた。 発達障害の当事者やその家族たちにとって、少しでも役に立つ情報を発信したい。そう思い、朝日新聞朝刊生活面で08年春から、自閉症やアスペルガー症候群など発達障害の人たちを取り巻く現状を考える連載「発達障害とともに」を始めた。

初回では、大人になってようやく、アスペルガー症候群などと診断された人らのケースを伝えた。
知的レベルは高いため、幼少時には障害に気づかれない。だが、人とのコミュニケーションがうまくとれず、学校でいじめに遭うなどのつらい経験を重ね、自信を失う。就職しても失敗したり周囲となじめなかったりして、転職を繰り返す…。障害に気づいてもらえなかったために、適切な支援を得られず、精神的な二次障害に悩む当事者の姿も浮かんだ。連載開始直後から、発達障害の当事者やその親、きょうだいらからのたくさんの切実な声が、メールや手紙、ファクスで寄せられた。学校教員や福祉職員からも、現場の不安や悩み、あるいは新たな取り組みに向けた意気込みも伝えられた。その数は、10月末までで約700通にのぼっている。

当事者や親たちからは、身近に発達障害に関する情報がなく、「どうすればいいのかわからない」という戸惑いの声がとても多い。その訴えは、連載開始から半年以上たった今でも絶えない。発達障害のある人を国や自治体が支援することを決めた「発達障害者支援法」が、05年4月に施行された。この支援法に基づき、各都道府県や政令指定都市では、発達障害の相談や就労支援などをする「発達障害者支援センター」を整えてきた。だが、一般には、支援センターの存在は、まだまだ知られていない。

引きこもりを続けている長男を「発達障害ではないか」と疑いつつも、「診断してもらえる医師がどこにいるのかわからない」と訴える母親もいた。医師不足は、以前から耳にしてきた問題だ。受診希望者がたくさん押し寄せ、初診まで3年待ちの病院もあった。殺到する希望者を受けきれず、とうとう一時的に、初診受付を休止したクリニックもあるほどだ。 「私たちも支えてほしい」「もう倒れそう」という親自身の「悲鳴」も多い。

子どもの理解できない行動に振り回され、疲れ果ててしまう。
障害をわかっているつもりでも、できない子どもをつい怒ってしまい、自己嫌悪に陥る。
発達障害の人たちは、見た目には障害がわかりにくいこともあり、周囲から「わがままな子」「親のしつけが悪い」と誤解される。そのことで、だれにも理解してもらえないという孤独感を深めていく。
学校になじめず、クラスや家庭でパニックが次第にひどくなる子ども。だが、親も教師もどう手を打てばいいのか、全く分からない。行政の福祉サービスも手いっぱい。八方ふさがりの中で、追いつめられ、とうとう「この子さえいなくなれば」とさえ考えたという、過去のつらい経験をつづった手記も届いた。悩みはいずれも深刻だ。

発達障害の子どもを育てている親270人の協力を得て、名古屋市立大学大学院の山田敦朗助教が06年に調べたところ、特に母親が一般の母親に比べ、ストレスを強く感じているという結果が出た。ストレスの原因は、社会の障害に関する無理解も関係している、と同助教は見る。多くの親は、発達障害の子どもたちが成長するに従い、社会生活のハードルもますます高くなってゆくように感じている。学校生活、思春期の問題、就職、結婚、子育て、親なき後の暮らし…。不安は増す一方だ。当事者や親からは、障害への誤解や偏見を懸念する声もたくさん聞かれる。過去に、特殊な事件の加害者の診断名として報道されたことがあるが、専門家は、犯罪などの反社会的な行為に直接結びつくことはない、と強調している。

連載への反響として、「働く場所がない」「職場で理解してもらえず、仕事が長続きしない」など、就労に関する悩みも多く寄せられた。
国は、発達障害者支援法の施行以降、発達障害のある人たちの就労に向けた様々な施策に乗り出している。だが、事業主の理解は、まだ進んでいないのが実情だ。厚生労働省の担当者は、「施策は、まだ緒に就いたばかり」と話す。福祉や教育、司法、医療など様々な方面での理解も必要だ。教育分野では、07年4月から、発達障害の子どもたちも新たに支援の対象とする「特別支援教育」がスタートした。開始から1年半が過ぎ、地域や学校によって取り組みに差が出ている、とも聞く。教育現場は、どうなっているのか。これから探っていきたい。
国や自治体による支援体制の今後の整備と合わせ、各地域の中で発達障害についての理解が進んでいくことを願う。

私が子育てをしている中で、とてもありがたいと感じるのは、周囲からの何げない心配りだ。
参観日で、「校庭で楽しそうに走っていたよ」と教えてくれたり、「さっき、教室で泣いていたよ」と心配してくれたりする同級生のお母さんたち。朝の登校時に、長男の名前を呼び、「おはよう」と声をかけてくれる校門に立つ警備員さん。学校で問題行動が起きたとき、対応について家庭と一緒に考えようと持ちかけてくれる先生。まわりの人たちからの細やかな配慮が、安心感につながっている。

こうした心配りが必要なのは、発達障害の子どもだけに限ったことではない。地域に暮らす他の子どもも、お年寄りも、職場の仲間同士も、互いに気を配り、理解し、支え合って暮らせる社会でありたい。

「彼女の名はサビーヌ」が制作されたフランスと日本とでは、社会の実情が異なる。だが、そこで暮らす人たちにとって周囲の理解や適切な支援が大切であるということに、変わりはないはずだ。作品の中で、若い日のサビーヌさんが見せていた生き生きとした笑顔が、今も印象に残っている。いつの日かサビーヌさんが、本来の輝きを再び取り戻すことを、強く願う。




≫解説1:佐藤久理子(パリ在住、映画ジャーナリスト)    |    ≫解説2:市川宏伸氏(都立梅ヶ丘病院院長)