50's[ニューヨーク時代]

1949年、トム・ダウドがアトランティック・レコードでエンジニアを務めた、スティック・マギーの『ドリンキン・ワイン・スポ・ディ・オ・ディ』のヒットは、彼の商業的な信用を確固たるものにし、その後40年以上にわたる彼とアトランティックとの関係が始まった。

1950年代初頭の米国文化情報局(USIA ; United Static Information Agency)と、マッカーシー時代の調査委員会の直接の顧客を含む、ヴォイス・オブ・アメリカでの勤務期間を終えた後、トム・ダウドはアトランティックのアーティストのためにレコーディングを行った。そしてそれは、モダン・ミュージックのサウンドを変えるものとなった。クローバーズ、ルース・ブラウン、ジョー・ターナー、クライド・マクファーター、ラヴァーン・ベイカー、ドリフターズ、レイ・チャールズといった面々は皆、彼の監修の下でレコーディングしている。トム・ダウドは、レコードを黒人にも白人にも同様に売れるものにしてしまうユニークな才能を持ち合わせていた。

アトランティックは他のR&Bの会社よりも、経済的な苦しさを抱えていた。なぜなら、彼らのレコードはとてもシンプルにアレンジされていて、簡単に複製できるため、彼らのポピュラー・ソングのほとんどが白人にカバーされてしまったからだった。実際、1954年にアトランティックのフルタイムのエンジニアとなるまで、彼は自分がアトランティックで手がけた黒人音楽の商業的なカバー・ヴァージョンをほかのスタジオで制作したこともしばしばあった。

もちろん、アトランティックも時代につれて変わり、1956年から60年代の初頭には、トム・ダウドがレコーディングしたコースターズ(『ヤケティ・ヤック』『チャーリー・ブラウン』『ポイズン・アイヴィ』)や、ボビー・ダーリン(『スプリッシュ・スプラッシュ』『マック・ザ・ナイフ』)、再編成されたドリフターズ・ウィズ・ベン・キング(『ラストダンスは私に』)のようなメジャーなロックンロールのヒットを生んだ。彼の洗練された音楽技術と熱意は、ミュージシャンたちの信用と信頼を得、重要な人物となっていった。

昼にはロックンロールやポピュラーソングのスタンダードナンバーをレコーディングしていたダウドは、その同じ夜には伝説的なジャズの『オン・ザ・フライ』にも参加していた。セロニアス・モンク、オーネット・コールマン、チャールズ・ミンガス、エリック・ドルフィー、レニー・トリスターノ、そしてクリス・コナーといったアーティストたちは皆、彼を信頼していた。

こういったジャズの再来には、モダン・ミュージック界で不滅のジョン・コルトレーンも含まれる。『ジャイアント・ステップス』や、『セントラル・パーク・ウエスト』、『マイ・フェイバリット・シングス』などコルトレーンの才能を世に知らしめたアルバムのレコーディングにより、彼のエンジニアとしての評判は高まった。

トム・ダウドは思い出す。

「アトランティック・レコードがそれまで事務所兼スタジオとして使っていた場所を空けた時、私はもっと大きなレコーディング・ブースを作るために事務所を大きくしたんだ。アトランティックで初めてのステレオ・コンソールをしつらえ、それで同時にステレオでもモノラルでも録れるようにした。レコーディング・ルームの大きさの都合で、気持ちよくレコーディングできるグループの人数は限られていたがね。部屋にぴったり合うのは、ジョン・コルトレーンズ・カルテットだった」

「ジョンは1時間前に現れ、管楽器を取り出してスケールの練習を始めた。彼は部屋の隅で壁に向かって立ち、数分演奏するとリードを取り替えてまた吹き始める。それはクラシックの演奏家がリサイタルの前にするのと同じ練習の仕方だった。しばらくすると、彼は一番しっくりくるマウスピースとリードに取り替え、セッションで使う節に取り組み始めた。私は彼が同じ節を、息を変えたり、指さばきを変えたり、あるいはわずかな並べ替えをしながら何度も何度も吹くのを見ていたものだ。時には、いったんやめたはずのマウスピースに戻ることもあった。彼は決して統制力を失わなかったし、すべてのステップには理由があった。おそらく彼以外の人物なら納得する結果が出たとしても、彼は演奏を続けた。あらゆる可能性を使い果たしてしまったと彼自身が感じるまでは、様々な変奏を続けた」

「私には、演奏している彼の手にも指にも関節が見えなかった。まるで骨などないようで、羽で演奏しているかのように見えた。彼のテクニックは完全なる自信と、統制力と、落ち着きから来ていたんだ。セッションが終わると、まるで公園を散歩して鳥のさえずりを聞き、子供たちが遊ぶのを見てきた人のようにリラックスしていた。ディスクへのステレオ録音はまだ一般には導入されていなかったけれど、私たちはテープを巻き戻して今録ったばかりの演奏を聞いた。ジョンは逝ってしまったけれど、そのテープはまだ残っているよ」

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