60's[メンフィスとマッスルショールズ時代]

1960年代には、プロデューサー兼エンジニアとして、トム・ダウドは欠かせない存在になり、音楽史や社会史を形作った人々と、公私に渡る関係を作り上げた。

フィル・ラモーンと共に、彼はホワイトハウスでのイベントのミキシングを担当することになり、ケネディからジョンソンの時代まで、公式の晩餐会やホワイトハウスでの社交会、果ては民主党の全国大会の音響の監督まで頼まれた。他のフリー契約の仕事には、全国規模のブロードウェイ風のミュージカルのレビューもあった。これは、リー・ラコッカ&J・ウォルター・トンプソン広告代理店が、フォードの新車、ムスタングを紹介するためのものだった。

またこの頃、アトランティック・レコードがテネシー州メンフィスのスタックス・レコードとディストリビューション契約を交わした。アトランティックのジェリー・ウェクスラーは、スタックスの機材がどうして常にトラブル続きなのか調べるために、トム・ダウドを送り込んだ。翌日、トム・ダウドはスタックス・レコードの会長のジム・スチュワートと会い、60年代初頭の差別的な南部の雰囲気を目の当たりにした。トム・ダウドは才能あるリズム・セクションのメンバーたちの目の前で、スタジオにあったモノラルのアペックス350を組み直した。これにより、ダック・ダンや、スティーヴ・クロッパー、アル・ジャクソン、ブッカー・T・ジョーンズといった、ブッカー・T& the MG'Sのメンバー達とも信頼関係を結んだ。トム・ダウドは回想する。

「翌朝の日曜日、私は自分の作業がうまくいったか確認するためにスタジオに行った。ちょうど、ルーファス・トーマスがやってきた。教会からの帰りだったんだ。そして私のしていることを見ると、書き上げたばかりのちょっとした曲を、テストのつもりでレコーディングできないかと聞いたんだ。私は機械にテープをかけ、3度ばかり録音した。メンフィスを発つ時、私はそのルーファスのデモテープを、ニューヨークの連中にメンフィスの状況がすべて順調に戻ったことを示すために携えていた。この曲がシングルとしてリリースされ、「ウォーキン・ザ・ドッグ」というタイトルで大人気になったんだ。この出来事が、スタックスに関わるすべての人々に私が心から慕われることとなったようだ。時がたつにつれ、私はジム・スチュワートや、スティーブ・クロッパーや、他のスタックスの何人かのアーティストたちから、レコーディングのたびにメンフィスに呼ばれるようになった。「これが、キング・カーティス(『メンフィス・ソウル・シチュー』)や、オーティス・レディング(『オーティス・ブルー』)のレコーディングにつながったんだ」

1967年のオーティス・レディングを筆頭とする、メンフィスのアーティストたちによる合同ヨーロッパ・ツアーでは、トム・ダウドは大使に選ばれ、その役目を務めることとなった。「海を超えることは、彼ら全員にとって画期的なことだった。ビートルズやエリック・クラプトンに会うことは、彼らの夢だったんだ」

ビートルズやクラプトンも、彼らに会いたがっていたことは、メンフィスのアーティストたちにとっては思いもよらないことだった。彼らは、ビートルズやほかのたくさんのイギリスのアーティストたちに出会えるレセプションに招かれた。そしてナイトの爵位までも授かり、記者会見やパーティに出席し、観光し、そして仕事をした。

その後、アラバマ州マッスルショールズでの、ウィルソン・ピケット(『ムスタング・サリー』)や、アトランティックの新しい契約アーティスト、アレサ・フランクリンなどとのセッションを始めた。トム・ダウドはこう語る。

「アレサはピアノの前ではいつもベストのパフォーマンスをした。でも、立って歌を吹き込もうとすると、必ずうまくいかなかった。そこで私が彼女をプロデュースする時にはライブ・パフォーマンスにするしかなく、弾きながら歌う彼女の声を録るようにした」

この試みは明らかにうまくいった。なぜなら、いっしょに最初のヒットを出してから25年たったロックの殿堂で、アレサは古い友人のトム・ダウドに、典型的なアレサ・サウンドを生み出せたことに謝辞のスピーチをしているからだ。

60年代を通し、彼はラスカルズ(『グッド・ラビン』、『ムスタング・サリー』)のナンバーワン・ゴールド・レコードや、クリーム(『カラフル・クリーム』、『クリームの素晴らしき世界』)の代表的なアルバム、ダスティ・スプリングフィールド(『サン・オブ・ア・プリーチャー・マン』)、そしてジェリー・ジェフ・ウォーカー(『ミスター・ボー・ジャングル』)など、ショー・ビジネス界の著名人のセッションを数々行った。彼が10年間に生み出したヒット・レコードや、政策や、地方興行は、彼を70年代の新しいチャレンジに向かわせた。そして彼は、まったく新しい環境でそれらを見つけることとなった。

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